昨日観た舞台があまりに夢のようだったので、何か、反芻したいと思い、
きょうは、以前買ったまま長いこと放ってあったKOPIT版の英文脚本を
布団に寝ころんで読み始めたのだが、
読むだけで、ほどなく、だーだーに泣けて来たのには困った。
すみません、Mr.Kopit。
私はアナタの文章を、全然別のビジュアルを想定して読み、
そのファントムのために、ひとりで勝手に泣いてます。
でもって、多分、英語がちゃんと読めてないところは、
自分勝手に、好みの台詞を想定して読んでると思います。重ねてごめんなさい。
もとの脚本は宝塚ではないから、冒頭はクリスティーヌの登場からだし、
ラストはファントムが死んだ場面で閉じられている。
トップスター登場のプロローグも無いし、
昨日、私が片頬で笑ってしまったラストシーンも、もとの脚本には無い。
改めて読んでみて、少なくとも幕切れは、こういうふうに、
よけいなものが付かないほうが良かったんじゃないか、
と正直なところ、思った。
でも飽くまで宝塚だから、やはり形式を尊重しないといけないのかもしれない。
ラストらしいラストは必要だし、フィナーレのショーナンバーも大階段も、
お約束とは百も承知であっても、観客の心情として不可欠なのかもしれないとも思う。
なければないで、きっと、物足りないものなのだろう。
それに、トップスターが特殊メイクで通している本編は、
ビジュアル重視の宝塚としてはやはり欲求不満が残るかもしれないから、
ショーでそのぶん、見せる、という構成も理解できるような気がする。
ところで、この公演のDVDが出たら勿論買うつもりだが、
観るには決心が要る、ということになるだろう。
とにかく泣いても良いような条件が揃っていないと観られない。
座敷なんかで観ていて、タオルハンカチ絞っていたら、
通りかかった舅が腰を抜かすだろうから。
ヨメさん、黄金の「ネグリージェ」観て泣いとった、と。
Trackback ( 0 )
|