私は料理をすることが、ことのほか嫌いだ。
そもそも私は味覚に関して人間離れして鈍感なのだ。
空腹が満たされるなら何を食べても平気だから、
面倒な食事の支度など、私個人にとっては、単なる時間の無駄としか思われない。
それなのに、私はこれまで、何かというと、
人並み以上に「おさんどん」をさせられて来たような気がする。
官舎が勤務先と同じ敷地内にあることが多かったので、
サラリーマンであるにもかかわらず、主人が昼食のために帰宅する、
ということが結構、繰り返されたからだ。
特に職場が小さいときは、皆が一斉に昼休憩時に官舎に戻るので、
そんな中で自分だけ弁当や外食では外聞が悪い、
という事情があり、どうにも、ほかの選択肢が無かった。
またこれが、牛・豚は食べない、ブリは照り焼きに限る、
サバはフィレの塩焼きか、揚げてチリソースをかけたもの、
と主人はやたらと細かくて、私は正直、辟易した。
で、やっとのことで、広島転勤。
官舎はあるが、実質、住まないのだから、
ついに私は、主人のための昼食の支度から解放された。
と思ったら。今度は舅と姑が一緒だったのだ。
食道癌手術直後の男性と介護度5の女性は、普通、外食しない。
どっちかが通院やデイサービスで留守でも、もうひとりは必ず、居る。
そのうえ、今度は、一口大じゃないと駄目だったり、
柔らかくないとノド通らなかったり。
私はもう、一生分の食事の支度をしたような気がする。錯覚だけど。
そこへ持ってきて、娘がある日、言った。
「みーちゃん、将来、コックさんになる」
反射的に、私の脳裏には某エースコックのブーちゃんの絵面が浮かんだ。
「いろんな料理を考えて、世界中に広めようと思うんだ」
コラムニスト・勝谷誠彦は書いている。
『味覚というのは記憶の引出しがどれだけあるかということだ。
過去のそれらと、今食べた味とを照合して、自分の中でランクづけをするのである』。
http://www.tanteifile.com/rensai/katsuya/01.html
料理嫌いの私は、娘にだってろくなものを食べさせていない。
基本的に給食で引き出しを増やしている娘に、
世界の逸品料理がつくれる舌は、養成されているのだろうか?
だが「反面教師」という言葉もある。
おかーちゃんのようになるのは絶対にイヤだ、
と思うなら、もしかしたら彼女にも、一縷の望みがあるかもしれない、と思う。
Trackback ( 0 )
|