転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日、Twitterを見ていたとき、千葉県の熊谷俊人知事の
ものの言い方に、少々驚いた。
私はこの人の判断を、これまで結構多くの場面で支持してきたのだが、
今回は、判断の内容以前にどうしてそういう言葉になるのか、
というのがかなり意外であった。

「感染者や医療従事者等の人権を守ります」と宣言していた千葉県熊谷知事が
医療従事者に心無い発言をしてしまったもよう
(日刊経済ツイ信)

リンク先にある通り、熊谷知事は小学校給食について、
教室は換気の良い場所である(と考えている)として、
これまでの「黙食」を見直すという主旨のtweetをしたのだが、そのレスポンスに、
『給食時、短時間の黙食はメリットこそあれ特にデメリットはないと考えます』
と黙食の続行を求める意見を述べた千葉県在住の有権者があり、知事は、
『では、貴方は全ての食事において他人と対面せず、かつ黙食を今後も続けて下さい。
(略)大声でない会話すら規制することを子供に強いることを望むのですから、
当然自らもされているのですよね?』
と書いたのだ。

声の調子を伴わない書き言葉なので、ニュアンスまではわからないが、
果たしてこれは、ただの単純な質問だったのだろうか?
「はい」か「いいえ」の返事を求めた以上の意図は、皆無であったのか?
一読した印象として、私には、そうは思われず、
「大人は既に、自分の判断で他人と飲食するようになっているだろう?
黙食なんて大人は守れっこないのに、子供に強制してよいと思うのか?」
と反語調で言い返した、ように読めたのだが、違うだろうか。

知事に賛同するレスを書いた人たちも、
『さすが知事!スッキリしました!』
等と書いているので、彼らにもこれは、
相手を黙らせる秀逸な切り返し、と感じられ、
ゆえに溜飲が下がった、ということでは?
黙食にデメリットはないと思う、と書いた人は医療従事者であり、
おそらく私と同様の受け取り方をした様子で、
『コロナ禍が始まってから当然そのように黙食を続けていますが。
なぜしていないとお考えでしょうか。私は医療者です。
家族以外の他人と食事はしていません。
まさかこのように侮辱的な返信を頂くとは思いもしませんでした。』
と、返している。

私は小学校給食の在り方そのものについては、明確な意見は持っていない。
その理由は、我が家に小学校に行くような年齢の子も孫も居らず、
小児科医療等とも今、縁が無いので、この話は他人事に近いものであり
――無論、回り回って自分にも関係して来る、ということは理解しているが、
現状、私は小学校給食がどうなっているかを直接には全く知らないし、
わかりもしないくせに、当事者でない者があれこれ言うのは
違うだろうという気持ちがあるからだ。

保護者や教諭が「黙食を続けるべき」と判断するなら、そうなのだろうし、
逆に、「黙食は今後やめよう」と考えるなら、その通りなのだろう。
世の中が、いわゆる「ウィズ・コロナ」へと動きつつある昨今、
概念としては合理的な黙食緩和が良いのだろう、と漠然と思うが、
具体的にどういう状態のことをいうのか、イメージできていないし、
意見が分かれるときにどうするのが良いのかについても、
申し訳ないが、今、特に名案はない。

私自身は、この3年、外食そのものをほとんどしていない人間なので、
他人と対面した食事など通常考えられないし、
数回、歌舞伎座等で食事せねばならなかったときは、
黙食のポスターのある食堂を選択してきた。
ゆえに、私の感覚で想像した範囲では、
数十人という大勢で同時に食べる給食のとき、皆が話をすると考えると、
感染リスクを感じ、大丈夫なのかなあという不安は、あるにはある、が
「小学校教育においては、お喋りしながら食べることが大切です」
と、現場を知る人に言われるのであれば、
「そうなのですね」
と引き下がるのみだ。
小学校で何を取り、何を捨てるかという問題について、
私自身が積極的に議論しようとは思わない。

ただ、熊谷知事のtweetについては、「言 い 方 !」と言いたいものが残った。
真意は完全にはわからないけれども、
SNSにおける知事の発言としては、不用意であったと思う。
『当然自らもされているのですよね(いや、していまい)?』
という含みがあると、当事者でない私でも感じてしまったのだから、
直接に言われた有権者(しかも実際に黙食を実践してきた医療従事者)が
気分を害したのも、致し方ないのではないかと思う。
例えば教室においての、換気の良さを示す数値的なデータ等を出して、
感染リスクの低さを主張したのであれば、ずっと説得力があったのに。
私は千葉県在住ではないので、私自身の投票にも関係がなく、
どうでもいいと言えば、まあ、その通りではあるのだが、
これまでそれなりに熊谷知事を評価していただけに、
今回の言い方は、残念には思った。

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