転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



2日が前夜祭・3日が本祭、そしてきょうが後片付け。
三日に渡った祭り騒動が、終わったっっorz。

前夜祭の日は、御帳場の総代さんにお茶やお酒を運んだり、
おつまみを出したりという仕事を手伝い、
神楽が終わって、社殿・神楽殿の片付けまで付き合ったので、
常日頃は早寝している私にとって、あり得ない深夜帰宅になった。
これだけでも疲れなかったというと嘘になるのに、
更に、その翌日がまた8時半集合だったのはキツかった。
午前2時頃寝て、翌日5時台に起床するという……。

3日は本祭で、雨の中、夕方まで、前日以上のフル稼働だった。
神社の大祭は町民運動会とは違うのだから(爆)
雨天順延などありえず、祭祀はすべて予定通りなのだった。
余興の餅まきは中止されたが、大人の御神輿はちゃんと出た。
神社ではなく地区にとっての資金集めでもあるので、
余興は余興で、簡単には中止できないとのことだった。

母や叔母の話によると、昭和40年代には姑の命令で、
嫁たちが集まって家で餅をつき、寿司も煮染めもこしらえ、
神社のお手伝いにも勿論参加したうえで、
前夜祭の夕方には一族揃って本家の座敷で食事を取り、
祭典の時間になると紋付きに着替えて境内にあがり、
拝殿に正座して祝詞を聞いたのだそうだ。
また、当時は神楽殿がなく、臨時の舞小屋を祭のたびに建てていたので、
本祭当日の朝は、その舞座を「こかす(倒して仕舞う)」作業もあり、
今よりもっと忙しかったということだ。
……ここで言う『姑』とはパンスーの祖母のことだが(^_^;。
昔は、これ以上のとんでもない労働をした上に和服まで着たのか!
と私は話を聞くだけでウンザリだった。
しかも神社の祭典が座礼だったとは。足がシヌ。
つくづく、そんな時代の嫁でなくて、良かったぜ!

そして本日は、午後1時半集合、
地元でいう「幟(のぼり)こかし」の日だった。
幟立てが祭の一週間前の日曜日だったが、
そのとき立てた幟を撤収するのが、きょうの作業だった。
幟をおろしたり竿を運んだりするような労働は主に男性たちの仕事で、
女性は祭のはっぴを畳んだり、社務所に掃除機をかけたり、
お茶出しをしたりした。

昨日の雨で幟は一旦はかなり濡れた筈だったのだが、
きょうは朝から晴れていて、しかもほどよく風があったので、
外にずっと立てられたままだった幟はどれも、
さながら、高いところに干してあった洗濯物みたいなもので、
とてもよく乾いていた。
好天の休日で参加者も多く、仕事はあっという間に終わったが、
「よし、終わったで。あとはもう、降ってもええで」
と宮司さんが言われた途端、空が曇って俄雨が降り始めて、
これには皆、笑うやら驚くやらだった。

ともあれ、終わった……。
これって、来年からずっとやるのかしらワタクシ……。
ああ、駄目だ、今そんなことを考えては……。

実家の両親から感謝された私は、帰りに、お供えの残りの和菓子を貰った。
ええい、これから、その菓子でひとり直会(なおらい)をしてやるっっ。

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