転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



束の間
久しぶりに何も無い日だった。
というより、意図的にそういう日にしたのだ。
なんぼなんでも、ここで一度くらい休暇(笑)を取らないと
脆弱なワタクシはシヌと思って。
来週はまた、1月から勤務する某社の採用時研修がある予定で、
1週間ばかり、本社研修施設で泊まり込みの生活をせねばならない。
それを終えて戻って来たら、もうポゴレリチ来日公演の週が来る。
なんと早いのだろう。
この調子では、老後なんかすぐだね(爆)。

『テレーゼ』
ベートーヴェンのソナタ第24番『テレーゼ』の第1楽章は、
テンポを落とせば最後まで通せるようになった。
もちろん課題はまだまた多すぎてどうにもならないのだが、
音の在処を指が覚えた、という段階までは来た。
かつて、『死ぬまでに弾きたい曲』にあげていたテレーゼを
まがりなりにも本当に弾くようになったのだなと感慨深いものがある。
この曲は世間では「愛らしい曲」という位置づけなのだと、
先日、友人某氏に伺い、私には結構意外だった。
いや確かに、史実としてはベートーヴェンが幸福だった時期に書いた曲、
ということになっているのだろうと思うのだが、
私はこれは、どうも、死んだ人間が死人語で喋っている音楽だと思えるのだ。
別に、ポゴレリチのケッタイな演奏を聴いたからそう言うのではなくて、
私は昔から、最初の和音だけでもう「あの世だね…」と感じていた。
ちなみに私は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の中では5番が一番好きで、
交響曲では6番が破格に気に入っている。
それぞれ、作曲年は『皇帝』が1808~1809年、『田園』が1808年、
そしてこの『テレーゼ』が1809年、ということで、
つまり私は、39歳当時のベートーヴェンと、大変気が合うらしいことが、
今更だがよくわかった(^_^;。
余談だが、森雅裕『モーツァルトは子守唄を歌わない』の舞台も、
設定は1809年だったっけ……。

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