転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



行ってきた。恒例、実家の村祭り。
朝早く、母がメールで、
『いよいよ大団円!鍵忘れぬよう。家にある食べ物は寿司のみ!』
とやたら鼻息の荒いことを言って来て、笑えた。
『了解っっ!!』
とレスした(笑)。

とはいえ、今年は母の大英断(笑)で、祭り当日の折り詰めを、
全部外注にしたので、本当に私はラクをさせて貰った。
後片付けなど少し手伝った程度で、労働は少なかった。
親戚や地元の人との「社交」は例年通りあったが(^_^;。
勿論、実家に出入りするための鍵も、玉串料も菓子折も、忘れなかった。

写真は、祭典のあとの「餅まき」。
普段は人っ子ひとり居ないような山奥の神社なのに、
このときばかりはとても大勢の人が集まってきて、
毎年のことだがその賑わいには、やはり驚かされた。
そして、拾うほうの勢いも凄いが、まいているほうの神官さんや総代さん、
町内会役員さんたちの、実に生き生きしたお顔が印象的だった。
なんのかんの言っても、祭りの日は皆、楽しいのだなと。

露店をひやかしていたら、高校のときの友人に偶然、出会い、
彼女も娘さんふたりを連れて来ていたので、
うちの娘も交えて皆でしばらくお喋りした。
普段顔を合わせる機会の少ない人たちが、
祭りとなれば、同じ時間帯に同じ場所に足を運ぶことになり、
なかなか有り難いことだなあと思ったりした。

それにしても、今の祭りで昔と一番違うのは、撤収の早さだ。
昔は祭りのあと、神社の幣殿(へいでん)と呼ばれる板の間で、
総代さん達を中心に男の人たちがいつまでも酒盛りをしていて、
境内では篝火が焚かれ、遅くまで人声がしていたものだったが、
今では午後4時前に祭りが終わると、社務所にあっという間にシャッターが降り、
餅を拾い終わった人たちも一斉に境内から居なくなってしまう。
昨今は、打ち上げは、改めて町内会ごとにやるのだそうだ。

社務所が閉まってしまうと、あとには、
参道に並ぶ露店で遊ぶ人たちが残っているだけになるが、
それも、祭りのあと一時間ほどでお店が次々と片付けに移ると、
子供達の騒ぎが、参道の入り口の一番外側の鳥居まで移動してきて、
やがて皆、三々五々、ふざけあいながらそれぞれの家に帰って行く。
夕方になるから家に帰る、つまり、普通の日曜日と同じだ。
完全に暗くならないうちに祭りの一切が終わってしまう、
というのは、私が子供の頃には経験しなかったことだった。

子供の頃は、楽しかった祭りがとうとう終わって暗くなってから、
まだ延々と、夢の残骸みたいに、大人達の酒盛りだけが続いている光景は、
眺めていると、とても切ないものがあった。
あれを思えば、今の祭りの終わり方は、気楽で良いような気がして、
私は案外、気に入っている。
「祭りのあと」という寂しさ・わびしさを味わったりしないで済むからだ。

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