転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



サイトBBSに、西武線の鷹の台駅や一橋学園駅付近の話を、
このところ、複数の方が書き込んで下さり、
とても懐かしい思いで楽しませていただいている。

私の卒業した大学は、東京の小平市にあって、
通学には、西武国分寺線の鷹の台か、西武多摩湖線の一橋学園、
JRなら武蔵野線の新小平、といった駅がよく利用されていた。
私の下宿は、大学まで徒歩圏内の津田町三丁目にあり、
都区内へ出るには一橋学園から乗ることが多かった。

卒業は1987年3月なので、あれから、もう二十年以上、
大学界隈まで足を伸ばしたことがなく、
きっと今では、様々なところが変わっているのだろうと思う。
そういえば卒業して数年目の広島支部同窓会で盛り上がったのが、
「国分寺駅が、改装されてマルイになったそうだ!」
「国分寺駅に、特快が止まるようになったそうだ!」
という話題だった(爆)。
我々が住んでいた頃は、国分寺エルなどというものは無かったし、
JR特別快速の、三鷹の次の停車駅は立川だったのだ。
さらに言えば、私たちの頃は、まだJRではなく「国電」だった(汗)。

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その国分寺駅まで西武国分寺線で駅二つのところに、鷹の台があった。
大学から徒歩で近かったし、私の銀行口座もあったので、
よく、授業のあと、帰宅する友人たちと一緒に、界隈を歩いていた。
道すがら、話にだけ聞いていた玉川上水を初めて見たときには、
「こんな狭いとこでどうやって自殺できたのか、太宰治?」
と真面目に疑問に思ったものだった。

鷹の台界隈は、前述の銀行口座のほか、コンビニと書店があり、
それらには毎回のようにお世話になった。
ほかに靴屋さんや写真屋さんや家電の店などもあったと思う。
学生の、日常の買い物には充分な環境だった。
鷹の台駅から徒歩で行ける学校が、母校のほかにもいくつかあり、
入学したての頃には、友人が駅から方向を間違えて歩き続け、
朝鮮大学校に行ってしまったこともあった。

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JR武蔵野線の新小平も、なんとなく忘れ難い駅だ。
小平市津田町に住み始めた頃、私は地図を見ていて、
どうも「新小平」という駅が近くにありそうな感じなのに、
見渡す限り、鉄道が通っている気配がないので、
しばらくの間、とても不思議に思っていた。
地図によれば、武蔵野線は、私の下宿の前を通っている
としか思えないのに、線路も踏切も、見たことがなかったのだ。

それである晴れた休日のこと、私は地図を持って、
新小平まで歩いてみることにした。
下宿からほとんどまっすぐ北上した位置だと思われたので、
住宅街を抜け、畑の間の道になっても、とにかく歩き続けた。
途中でスーパー「いなげや」があって、広島人の私はウケた。
広島弁で「いなげ」というのは「奇妙な」の意味だからだ。

で、10分ちょっとほど歩いたところで、予想通り新小平駅を見つけた。
やっぱりあるじゃん、と思って、私は取りあえず切符を買った。
西国分寺を経由して、立川あたりまで行ってみようと思ったのだ。
総武線と京浜東北線を連結したような、変な色合いの車両が来て、
乗ってみたら、ビックリだった。
地下鉄でもないのに、その近辺では地下を通る路線だったのだ(汗)。
道理で、地上では線路を見かけなかったわけだ。
普通の車両が地下を通ったら、そりゃもう、ウルサかった。

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そんなこんなで、思い出すとのどかで温かい気持ちになる小平なのだが、
残念ながら都区内からは遠すぎて、今ではなかなか訪れる機会がない。
卒業20周年の同期会も諸般の事情で欠席してしまったので、
そのうち、何かの機会に行ってみたいと思っているのだが、
小平でポゴレリチが演奏会をするとは考えにくいし、
『何かの機会』というものが、どうも、巡って来ないのだった。

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加藤 徹氏の《梅蘭芳 世界を虜にした男》を買った。
毎度、何かの拍子にハマるとしばらく追求する私の病気だ。

映画のノベライズ本では触れられていなかったことが
評伝のかたちで様々に紹介されていて興味深い。

これを読んでいて感じるのは
ひとりの天才が花開くためには
彼を支えるブレイン集団が不可欠であったということだ。
どんな偉大な芸術家も本人ひとりでは世に出られない。
今で言う《チーム○○》が、その芸術家のために存在し、
なおかつ、チームの構成員の質が抜群に高かったとき、
天才は世界にその名を知らしめるほどの飛躍が可能になるのだ。

そう考えると、梅蘭芳とは逆に、
チームを持たなかった、あるいは持とうとしなかったために
才を埋もれさせた人も少なくなかったのかもしれない。
チームの支えを持たない芸術家に可能なのは、
せいぜい、限られた場所での成功だけであることが大半だろう。

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