転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



大和ミュージアムの向かい側の海上自衛隊呉史料館にも行った。

未だに、日本の近海には機雷が数百も残されていること、
海上自衛隊による撤去作業が、今も継続中であること、
等を、私は今回、恥ずかしながら初めて知った。

数年前まで現役で使用されていた、潜水艦『あさしお』が
内部もそのままに展示されていて、
実際に入って見学できるようになっていた。

通路も居室も、とにかく狭いことに驚いた。
乗組員の寝室など、昔の電車三段式の寝台列車みたいで、
三段ベッドのどの段も、起き上がって座ることも出来ない空間しかなく、
ベッド幅も、とても80センチは無さそうに見えた。
閉所恐怖の人間には、最初から務まらないことが明白だった。

船内の係員の方の説明によると、
事故や災害や攻撃に遭った場合、被害を最小限に食い止めるために、
最初から開口部となる箇所はできるだけ小さく設計されている、
とのことだった。
「こんな細いハッチで、本当に通れるんですか」
という観光客の方の質問に、係員の男性が、
「今まで、通れなかったり、詰まったりしたヒトは、いません」
と笑顔で返答なさっていた。

うちの娘がこのままタテヨコ育って、海上自衛隊に入隊したら、
『潜水艦に入ることが出来なかった、最初の人間』
として歴史にその名を留めるだろう、
と主人が言った(殴)。

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お天気の良い土曜日だったので、親子三人で、
呉の大和ミュージアムを見学した。

呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム

10分の1戦艦「大和」の勇壮な姿に圧倒されたが、
それ以上に、この戦艦の乗組員だった方々や、
回天などの特攻兵器と運命を共にした人達の思いに、深く打たれた。

遺書や、辞世の句、写真、遺品、家族への言葉を録音した音声など、
たくさんの展示があり、その潔さ見事さには言葉もなかった。
当時の青年たちは、今の我々とは比較にならないほど早くから、
精神的に成熟し自立し、自分なりの死生観を持っていた、
ということが、遺された言葉や文面から察せられた。
心身ともに強健で優秀な人材が、どれほど犠牲になったことだろうか。
個人としての彼ら、その家族の無念は、計り知れないと思う。

だが一方で私は、「お国のために」と信じて
若い兵士たちが命を捧げた、その心根そのものは、
なんら、間違っていなかったと思っている。
ただ、世の価値基準、特に日本で『正しい』とみなされる事柄が、
昭和20年以前と以後では、全く違ってしまっただけだ。

以前、倉田百三を読みながら思ったことと同じなのだが、
人間は、快適で便利な暮らしの中で長寿を夢見られるようになると、
それだけダラクするのではないか、という気がしてならなかった。
私たちは、命を賭けた彼らの思いに応えるだけの過ごし方をして来たか、
と考えると、本当に申し訳ないと思った。

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