すーさんの山日記

山と釣りとテレマーク
八幡平の登山情報

インカトレイル 10/26~11/6

2010-11-07 14:08:15 | 南米
昨日、南米ペルーのインカトレイルトレッキングから戻ってまいりました。
ただでさえ遠い南米ですが、帰路、アトランタを飛び立った機材はエンジントラブルのため、いったんミネアポリスに着陸し、エンジンの点検を行い再出発、2時間半の遅れで成田着でした。疲れましたあ・・・。

ここ数年よく行くインカトレイルなので、適当にご報告しておきます。
 
こちらの可愛いモルモット。現地ではクイと言いますが、ペットではありません。食用です。これを丸焼きにして食べるんです。インカトレイル出発前、オリャンタイタンボの民家を訪問した際の1コマです。
  
4200mのワルミワニャスカ峠を越え、インカのトンネルを抜け・・・、

霊峰サルカンタイ(6215m)の峰を仰ぎ、
 
インカの遺跡を巡り、インカの石畳を歩き・・・、

マチュピチュ遺跡まで3泊4日のトレッキンングでした。

と、ホント簡単に報告終了。
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ボリビアアンデス  7/13~7/25

2010-07-26 22:51:22 | 南米
ボリビアから帰国しました。
毎回のことですが、南米は遠い。丸1日の飛行機での移動はつらい・・・。脚パンパンです。
そしてボリビアは標高が高い。世界一標高の高い首都ラパス(約3,600m)からのスタートですから、高所に馴れるまでけっこうしんどいんです。

ボリビアアンデスの山、どんな感じかザザッと。

ラパスの背後に聳えるイリマニ(6480m)。日本では山の手に住んでいるのはセレブな方ですが、ラパスでは逆。山の手は低所得者層の居住区。

ボリビアアンデス・レアル山脈北端の高峰イヤンプー(6362m)。

その隣にはアンコーマ(6427m)。

チチカカ湖夜明け前。右端、明るいのはラパスの灯り。チチカカ湖(3810m)は汽船の運行する世界最高所の湖。琵琶湖の12倍。

チチカカ湖越しにボリビアアンデスのレアル山脈を望む。右端の山がレアル山脈最高峰イリマニ(6480m)で、中央がワイナポトシ(6094m)。海無し国・ボリビアですが、海軍基地がチチカカ湖にあります。

ワイナポトシの北には、コンドルが羽を広げたようなコンドリリ(5648m)。立派な山です。

チャカルタヤへ行く途中のワイナポトシ(6094m)。

登頂にチャレンジしたチャカルタヤ(5395m)。中央高いところが山頂。
 
チャカルタヤには世界最高所のスキーロッジ(5180m)がありあます。スキーシーズンは1月から3月で、積雪量は50cmから1mぐらいだそうです。世界最高所のスキーロッジまでは、ラパスからランクルで2時間ぐらい。ロッジから1時間もあれば登頂出来ますが、なんせ標高がねえ・・・。楽じゃない。
  
最近注目度UPのウユ二塩湖(約3700m)。四国の半分の広さです。チチカカ湖(8,653㎢)は琵琶湖の12倍。四国の半分と琵琶湖の12倍、どちらが大きいかと言うと・・・、四国の半分、ウユニ塩湖(12,000㎢)でした。岩手県が15,278㎢、秋田県が11,612㎢。岩手県より小さいが、秋田県よりデカイと言うことなんですね。なるほど。
そして「世界で1番平らな場所」と言うことです。
観光の注目度だけではなく、世界のリチウム埋蔵量の半分がこの下に眠っているゆえ、世界の商社の注目度も間違いなくUP。レアメタルの争奪戦に日本は生き残れるか!?日本からは、住友商事、三菱商事が絡んでいる。
塩湖とは言え、表面はカチンコチン。ランクルで爆走出来ます。

ウユニ塩湖の真ん中に浮かぶ(?)「魚島」。

魚島はカクタス(サボテン)でいっぱいです。1m成長するのに100年とのこと。9mのサボテンは900年!
 
塩湖ですから、製塩業が盛んです。1kgの袋詰めの塩が1ボリビアーノで売ってました。(1ドル≒7ボリビアーノ)

ああ、時差ボケが襲ってきた。いや、これはもはや天然・・・。
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インカトレイル 9/12~9/22

2009-09-23 18:05:49 | 南米
今年3回目のペルー。昨日、帰国しました。
S.Wで、他社のペルーツアーも大盛況。数ヶ月前のインフルエンザ騒ぎも何のその。さすがは「行ってみたい世界遺産」アンケートで上位の常連「マチュピチュ遺跡」や、インカ帝国の首都「クスコ」、「ナスカの地上絵」といった有名観光地をずらり揃えるペルーは、今が旬なのか?

我々は3泊4日でインカトレイル(ほんの一部)を走破し、マチュピチュ遺跡の背後に聳えるワイナピチュ登山。普通の観光ツアーとはひと味違います。
 
まずはペルーレイルのクスコから82kmの地点(2650m)からスタート。入山規制のため、ポーター含め1日500人までですが、ご覧のようにトレッキングも大盛況。日本人グループは我々だけでしたが・・・。

2日目は今コース中の最高所・ワルミワニャスカ峠(4190m)越え。5時間かけて1200m上がります。コレがしんどいんだ・・・。

峠。ゆっくり時間をかけながら登らないとキツイ。この後、雨が降り出す。
 
翌日もまた4000mの峠越え。どんどん追い抜かれていきます。午後になると、我々のグループがいつでも最後尾。
ガイド・ワシントン氏の解説はアツイ!私の「いい加減」通訳もMAX状態です。ご参加の皆様、スイマセンでした。

ランの種類は豊富。

鳥もいろんな種類が観察出来ます。
  
トレイル上には何ヶ所かトンネルがあります。これにはきっと宗教的意味合いがあると思われます。
最終日も、カッパを着込んでの出発。まだ乾期でしたが、天気はイマイチ。聖山サルカンタイ(6271m)はついぞ姿を現さず・・・。しかし、ポーターたちはどんな天気だろうが、我々の荷物を次のテン場まで確実に運んでくれます。感謝。
 
マチュピチュが近づくにつれ、雲霧林の林も鬱蒼としてくる。太陽の門まで来れば・・・、

マチュピチュ遺跡(2400m)が目の前に現れます。
今回も無事終了出来ました。

ご参加の皆様、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
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ペルーから帰国

2009-08-21 14:22:09 | 南米
昨日もご報告しましたが、ペルーから帰国しました。

今回は、アンデス山脈第2位(ペルー最高峰)の高峰ワスカラン(6768m)をはじめとするブランカ山群、ペルー第2位の高峰イエルパハー(6634m)を擁するワイワッシュ山群を廻る旅でした。

ブランカ山群は知ってても、ワイワッシュ山群って知ってる人は少ないと思うんです。
ジョー・シンプソンの原作「死のクレバス(岩波現代文庫)」が、映画化された「運命を分けたザイル」って、ご存知でしょうか?

その舞台になったのが、ワイワッシュ山群のシウラ・グランデ(6344m)西壁なんですね。写真は東壁です。
日本ではあまり注目された映画とは言いがたいでしょうか?

ともかく、まだまだマイナーなワイワッシュ山群ですが、思いの外素晴らしい。
とくに朝。カルアコチャから仰ぎ見るイエルパハーやヒリシャンカは美しかった。

こちらがイエルパハー(6634m)。

そしてこちらがヒリシャンカ(6094m)。

と、簡単に。


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インカトレイル 6/28~7/8

2009-07-09 19:48:51 | 南米
ペルーのインカトレイル。
新型インフルエンザの影響が心配されましたが、現地に行ってみれば、案外たいしたことないのがつね。
ところが・・・、私の荷物がアメリカ・ヒューストンでスタック。足りない装備を現地で調達しなければならず大変でしたが、ご覧のように天気には恵まれました。

インカトレイルのゴール・マチュピチュ遺跡。20年前には、ここでサッカーしたり、石垣をフリークライミングしたり出来たそうですが、世界遺産となった現在では、そんなこと出来ません。

インカトレイルは遺跡を辿る道。スタートして、最初に現れるリャクタパタ遺跡。アンデネス(段々畑)では、イモ、マメ、トウモロコシなど栽培していた。

トレイル上には異なる性質の遺跡が存在します。ルンクラカイ遺跡はチャスキ(飛脚)等の移動に必要な物資の倉庫。

サヤクマルカ遺跡。マチュピチュ地区の最前線の城塞的な遺跡。狼煙台としても使われていた可能性もある。
 
マチュピチュ遺跡の背後に聳えるワイナピチュ(2690m)も登りました。1日400人までの入山制限があります。登山ゲートが開くのが7時。1回目のオープンでは200人まで。それ以降は、2回目のオープン10時まで待たなきゃいけないので、皆1回目の200人に入ろうと必死。朝イチのゲートオープン前は長蛇の列。
 
登山ゲートから山頂までは急登続きの1時間。山頂直下はかなりの高度感です。

インカトレイルトレッキング終了後は、クスコの観光。
サクサイワマン遺跡。冬至の日、インティライミ(太陽の祭り)が行なわれるのがここ。
サクサイワマンの石組みは巨大で精緻なもの。精緻な石組みは神聖な場所であったことを意味します。しかし、これだけ大きな石を運ぶのも大変だったことでしょう。最大のもので120t。

サクサイワマン遺跡からクスコを見下ろす。手前右側がアルマス広場。左手中程の大きな教会が、サントドミンゴ教会。インカ時代はコリカンチャ神殿で、ここを中心にインカトレイルが四方に伸びていた。

有名な「12角の石」のある通り。

ペルーの旅では、フォルクローレの演奏もセットになってるようなもの。

クスコの夕食で演奏していたグループは上手かった。特に、ケーナ、サンポーニャといった管楽器の演奏が抜群。

とまあ、手短に。
ご参加の皆様、お疲れ様でした。


昨年のインカトレイル・トレッキング
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インカトレイル3泊4日コース

2008-11-16 20:48:48 | 南米
インカトレイルはインカ時代(1300頃~1533年)に、首都クスコ(3360m)から4つの州に向け作られた総延長40000kmにもおよぶ道である。30kmごとにタンボ(宿駅)、3kmごとに中継地が設けられ、チャスキ(飛脚)が情報を運んだ。2000km以上離れたクスコとキトの間で、わずか10~12日で間駆け抜けたという。3km10分というようなペースであるから、マラソン選手なみである。
現在、我々がトレッキングとして歩くインカトレイルはマチュピチュまでのごくわずかな区間でしかない。

トレッキング開始はクスコからの鉄道82km地点(2600m)から。初日は乾燥地帯のトレッキングです。トレイル上には遺跡が点在する。

初日のテン場は、最奥の定住村・ワイリャバンバ(2950m)。テント生活も現地スタッフのおかげで快適です。

2日目は遺跡もなく、とにかく登る。
ランチ場所ルルチャバンバまでは樹林帯。ここまでは村人が上がってきて、お店を広げてます。

コース上、最大の難所ワルミワニャスカ峠(4198m)まではワイリャバンバから6時間。ワルミワニャスカとは「死んだ女」という意味。写真見て分かりますか?左に顔、右にオッパイ。

峠を越えると2時間で2日目のテン場パカイマヨ(3635m)。
3日目もまた峠越え。石段登りが堪えます。
ルンクラカイ峠(3998m)への2時間半の登りは、標高も高いし、我々にとって容易ではないが、ポーターたちは足早に追い越して行く。

雲霧林の中のサヤクマルカ遺跡、コンチャマルカ遺跡を経由し、峠から2時間半のチャキコチャでランチ。ハチドリもよく見かけます。緑色の羽が美しい。

チャキコチャから2時間でプユパタマルカの展望の良いテン場。サルカンタイ(6215m)はインカ時代の信仰の山。

4日目はトレッキングのハイライト、マチュピチュ遺跡(2460m)へ向けて下り6時間。次々に遺跡が現れます。

インティパタ遺跡の見事なアンデネス(段々畑)。

マチュピチュの入口インティプンク(太陽の門)直前で、雹に降られる。滅多にないということだが、乾期から雨期に差し掛かろうとするこの時期に、あまり降られずにここまで来たので、まあ良し。しばし止むまで待つ。ガイドはレインジャケットの他に、こんなビニールポンチョを携帯していましたが、意外とこれが役に立っていました。
急な石段を登り終え、10分も緩く登れば・・・

インティプンクです。ここまで来て初めてマチュピチュ遺跡が見える。自分の足で歩いてくれば、感慨もひとしお。
さらにここから1時間でマチュピチュです。
インカトレイルを歩いてきたという優越感。大勢の観光客も我々の引き立て役になってくれるというものか。

ご参加の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
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ペルーの人たち

2008-11-15 17:11:40 | 南米
ペルー人気質を一言で言えば、「人なつっこい」かな?

  
マチュピチュ遺跡の子ども。民族衣装を着て、小遣い稼ぎ。でも、めんこい。
そして、ペルーと言えばフォルクローレ。盲目のアルパ弾きは、いい音色を奏でていました。
山岳地方の踊りは、とにかくよく回ります。目が回らんのか?
  
リマ市内では、警官が目につく。思ったよりは真面目に働いてます。婦人警官も多い。
  
修学旅行の女子高生に、いっしょに写真撮っていいかとたずねられ、おじさんはもちろん即O.K。これは私に限ったことではなく、ペルーではよくあること。ペルーでは、女子高生といっしょに写真を撮りましょう。とにかく元気でよろしい!
市場のおばちゃんも親切。果物をたくさん試食させてくれた。
建築現場のおにいちゃんにカメラを向けると「オラ~!アミ~ゴ~!」とポーズ。
 
信号待ちでは、必ず売り子がやってくる。リマ市内を1日運転してたら、お店に行かなくてもいいらしい。それぐらい、いろんな物を売っている。

昔のペルー人。というか、プレインカの土器でした。すっとぼけた感じが素敵。

カメラ持って、ぶらぶらしてるだけで楽しいところですが、治安の悪い場所もあり、人なつっこい泥棒もおります。
観光の際には、貴重品の管理に気をつけて、楽しんでください。
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ペルーから帰国

2008-11-13 17:27:48 | 南米
ペルーから帰国しました。

今回はインカトレイルを3泊4日で歩き、マチュピチュ遺跡の背後に聳えるワイナピチュに登ってきました。
乾期から雨期に移り変わろうとする時期で、不安定な天気が予想されましたが、あまり降られることもなく、楽しいトレッキングになりました。

詳しくは後ほど…。
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ペルーへ出発

2008-11-03 12:32:04 | 南米
これから成田空港から、ペルーへ向けて出発です。

今回はインカトレイルを歩きます。
そろそろ雨期が始まるところなので、雨カッパ着ながらのトレッキングになるんでしょうか?

では、行ってまいります。
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在ペルー日本大使公邸跡

2008-07-19 21:05:03 | 南米
1996年12月、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)の構成員によって、天皇誕生の祝賀パーティーの最中だったリマの在ペルー日本大使公邸が襲撃、占拠され、発生時には約600人が人質になるという事件が発生した。継続的に人質は解放されたが、最終的に事件解決時まで72名が拘束されていた。この事件をご記憶の方も多いと思う。
事件発生から127日後の翌年4月22日。公邸に向け密かに掘削していた地下通路を通って、軍・警察の特殊部隊が突入し、人質71名を解放(1名は死亡)、犯人は全員射殺という形で事件は幕を閉じた。ちなみに当時の大統領は現在拘束中のアルベルト・フジモリ氏。日本の総理大臣は橋本龍太郎氏。
 
ペルー現代史の生き証人・日系2世83歳おじいちゃんガイドによれば、最近までこの場所が売りに出されていたとのことでしたが、「売り物件」の看板がなくなったので、売れたんじゃないかとの話し。この事件当時、リマの日本語ガイド、日本料理店は特需にあずかったとも。
公邸入口には、当時公邸内側から撃ち込まれた銃弾痕がいまだ残り、かなり生々しいです。
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