あの時は平壌でヒョリとジェッキが公演、平昌には北のガールズグループが来るか(上)
登録:2018-01-07 22:25 修正:2018-01-08 10:02
李明博・朴槿惠政府が消した南北解氷期の名場面5
“平昌五輪”契機に南北関係復元期待感高まる
金剛山・開城観光、 文化・スポーツ民間交流
李明博・朴槿惠政府の9年間で完全に断絶…復元至急
2005年、北朝鮮万寿台芸術団に所属する舞踊家チョ・ミョンエと歌手イ・ヒョリが共演したサムスン電子携帯電話エニーコール広告の一場面=資料写真//ハンギョレ新聞社
本当に久しぶりです。李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政府の9年間にすべての関係が途絶えた南と北の間に、新年から薫風が吹いています。平昌(ピョンチャン)冬季五輪が好材料です。1日、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長が新年の辞で平昌五輪への参加意思を明らかにすると、2日には韓国政府が高位級会談を提案しました。3日には北朝鮮の平昌五輪代表団派遣問題などを議論するために、2016年2月を最後に途絶えた板門店(パンムンジョム)連絡チャンネルが復元されました。
過去9年間、南北関係は後退を重ねてきました。金大中(キム・デジュン)元大統領と盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の在任時期である1998年~2007年には活発だった経済協力と民間交流は、李明博・朴槿恵政府時期に一つずつなくなり、そして完全に止まりました。2016年2月、朴槿恵政府の開城(ケソン)工業団地全面閉鎖がその頂点です。北朝鮮の先非核化を要求して、対北朝鮮圧迫・制裁の先頭に立ち、南北関係改善、北朝鮮核問題の解決にはすべて失敗したのです。
南北関係復元のためにまだ先は険しいけれど、平昌五輪のような文化・スポーツ分野での民間交流が良い出発点になりえます。民間交流は不充分な当局間コミュニケーションを補完でき、それ自体が南北和解ムードを作り、朝鮮半島の緊張緩和の象徴になるためです。もう一度、南と北の間に目に見える“解氷期”が訪ねてくることを願い、李明博・朴槿恵政府が消してしまった南北民間交流の名場面を整理しました。
1. あの時はマイカーで金剛山(クムガンサン)観光に行った
マイカーを運転して北側の金剛山観光に出発した観光客が、2008年3月17日午後金剛山の外金剛(ウェクムガン)ホテルに入っている。この日から始まったマイカーによる金剛山観光には乗用車17台、45人の観光客が申し込んだ。金剛山/キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社
1998年11月18日に始まった金剛山観光は、6年6カ月目の2005年6月7日に“観光客100万人時代”を迎えました。北朝鮮軍による観光客銃撃死亡事件で李明博政府が金剛山観光を中断する直前の2008年7月には、累積観光客が196万人に達しました。
1998年11月、分断後初めて金剛山観光に出かけた観光客が、九龍(クリョン)滝に上がる分岐点で北朝鮮の観光案内員と話を交わしている=タク・キヒョン記者//ハンギョレ新聞社
九龍淵(クリョンヨン)、万物相(マンムルサン)、三日浦(サムイルポ)に限定された観光コースは、海金剛(ヘグムガン)、内金剛コースが追加されて多様化し、観光の方式も次第に拡大しました。海路観光(2004年中断)で始まり、2003年には陸路観光が許可され、2008年3月からは観光客がマイカーで非武装地帯を通過して金剛山へ行く道も開かれました。キャンプ場、海水浴場なども開放されて、観光客が金剛山を見ながら水泳する珍しい風景が繰り広げられもしました。「今度の週末、金剛山に遊びに行こうか」と尋ねるのがおかしくない時代でした。
北核危機の中でキャンセル率が高かった金剛山観光は、キャンセル率が18%に下がり安定してきた。2016年10月15日昼、金剛山観光客が、紅葉真っ盛りの万物相の天仙台にあがるため、登山路の鉄製階段を並んで登っている=金剛山/カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社
2007年7月26日、夏休みをむかえて京畿道安山市の松湖小学校の児童たちが、秀麗な山が屏風のようにそびえる金剛山海水浴場で水遊びをしている=イ・ジョングン記者//ハンギョレ新聞社
国連(UN)は冷戦時代、「観光は平和に進むパスポート(Tourism is a passport to peace)」という標語の下にその重要性を強調しました。金剛山観光がその良い例でした。
今年で金剛山観光は中断10年目をむかえます。金剛山観光開発事業者である現代峨山(アサン)は、昨年までの総額1兆700億ウォン(約1100億円)余りの売上損失を被ったと推算されます。その間に役職員は1084人から175人に減りました。
2. あの時は開城で善竹橋を見ることができた
開城観光開始の初日である2007年12月5日、高麗末の忠臣チョン・モンジュが殺害された善竹橋を観光客が解説員の説明を聞きながら観覧している=共同取材団//ハンギョレ新聞社
金剛山同様に人気があった北朝鮮の観光地は「高麗五百年の都」開城市(ケソンシ)でした。ソウルの北80キロメートルにある開城には、高麗の忠臣チョン・モンジュが襲われた善竹橋(ソンジュクギョ)と、金剛山の九龍滝、雪岳山(ソラクサン)の大勝(テスン)滝とともに朝鮮3大滝に上げられる朴淵(パギョン)滝など見どころが多くあります。主な観光地が市街地に集まっていて、北朝鮮の住民たちの暮らしを近くで見ることができるという点も魅力に挙げられました。
開城観光の初日である2007年12月5日午前、都羅山(トラサン)南北出入り事務所で開城へ向かう観光客が手続きをしている=写真共同取材団//ハンギョレ新聞社
2005年8~9月、三回のテスト観光を経て2007年12月5日に本格的に始まった“日帰り”開城観光は、2カ月間に1万7000人余りが参加しました。10カ月と10日間で観光客10万人を超えました。今は想像すら難しいですが、地方の観光客のために蔚山(ウルサン)駅、釜山(プサン)駅などから出発する“開城観光列車”が運行されたこともあります。臨津江(イムジンガン)駅で下車し、専用車両に乗り換えて開城に移動する形でした。
開城を訪れた南側の観光客が、2008年7月25日開城の名勝地である善竹橋で北側案内員の説明を聞いている=開城/キム・ジンス記者//ハンギョレ新聞社
開城観光は1周年を目前にした2008年11月28日を最後に中断されました。李明博政府スタートから9カ月目でした。李明博元大統領の6・15共同宣言と10・4首脳宣言無視、キム・テヨン当時合同参謀議長の対北朝鮮先制攻撃発言などが続くと、北朝鮮は開城経済協力協議事務所の閉鎖、開城工業団地滞在人員の縮小、開城観光中断などの内容を盛り込んだ「12・1措置」で正面対抗しました。南北間の不信と葛藤の悪循環が始まるのです。
イ・ユジン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )