ひびレビ

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”氷菓 第5話“をもう一度

2023-09-07 08:15:05 | 2012年アニメ
 「氷菓」振り返り、第5話は「歴史ある古典部の真実」。前回「文化祭を巡る学校と生徒の対立の末に、関谷純は退学した」ことが明らかになったものの、まだ千反田が泣いた理由は分からぬまま。その真相に迫る、氷菓編クライマックスとなります。

・「お前らを見てるとたまに落ち着かなくなる。俺は落ち着きたい。だが、それでも俺は、何も面白いとは思えない」(奉太郎)
 第2話で学校史の謎を解いた後、楽しそうにする千反田たちを見て奉太郎は疎外感を覚えると同時に、自分と千反田たちの何が違うのかを考えていましたが、それは「落ち着きたいから」だったと。この時何故分かったのかを問われた奉太郎は「ただのひらめき、ただの運だろ」と告げ、今回事件を解決した後も「たまたま」としていました。傍から見れば理路整然とした推理であっても、奉太郎自身が「偶然」「たまたま」「運」だと思ってしまっていては、当たった時の喜びも、外れた時の悔しさも感じられない。だから何も面白いとは思えていないのかなと。

・空模様と十字路
 奉太郎と里志の会話の最中、灰色がかった空から光が差し込み始めてきます。そして奉太郎は十字路を直進。
 灰色に飽きた奉太郎に千反田という光が差し込みはじめ、保留(左右に進む)でも後退するでもなく、前に進み始めた奉太郎の状況を表しているように感じました。

・姉・供恵からの電話
 タイミングを見計らったかのようにかかってくる供恵からの電話。言いたいことだけ、聞きたいことだけ聞いて切る、という点だけを見れば供恵もある意味では省エネ主義な気がしますね(笑。「このくそ姉貴!」の言い方、普段千反田たちと接する奉太郎とは違い、弟感溢れる怒り方なのが印象的でした。ここでは悪態をつきつつも、手紙の末尾を「アドバイスありがとう」で締めくくっています。姉弟関係の良好さと奉太郎の素直さが感じられる好きな言葉です。
 ところで、供恵が在籍していた頃の古典部では、関谷純のことが脈々と語り継がれていたのでしょうか。あるいは供恵が個人的な興味で調べて突き止めていたとか?後々の話を見るに、供恵ならば一人で瞬く間に真相にたどり着けそうですからね……

・奉太郎の招集
 省エネ主義ということは仕事をしないことではなく、仕事を効率よく進められるということ。段取りと手際の良さが素晴らしかったですね。
 摩耶花から見て「張り切っている」ように見えたのは、関谷純の行動が自分が憧れているかもしれない薔薇色だったのかどうかをはっきりさせたかったのでしょう。

・糸魚川先生の過去
 ここ!ここ今回で一番印象的なシーンです。糸魚川先生が歩んできた道のりが現在から過去に向かって描写されています。ほんの一瞬のシーンですが、顔つきや服装などにこだわりが感じられます。言ってしまえば今の糸魚川養子と過去の郡山養子の比較だけで十分であり、その過程を描くのはエネルギー効率が悪いようにも思えますが、こういったところへのこだわりがあるからこそ、本作はいつまでも薔薇色の輝きを放ち続けているのだろうなと感じますね。

・45年前の真実
 関谷純は望んで全生徒の盾になったのか。事のあらましが糸魚川先生から語られ、それを聴けば自ずと「氷菓」の表紙の意味や「カンヤ祭」の由来は導き出せました。
 また、この真実を語る最中、糸魚川先生は眼鏡をはずしています。学生時代は裸眼だったようですから、その頃の気持ちを思い出すために外していたのかなと。

・「氷菓」の由来
 蓋を開けてみればくだらないダジャレに過ぎない。しかし、それを本当に糸魚川先生は理解出来なかったのか。理解出来たからこそ、その声に応えるかのように、氷菓第二号の序文に関谷純への想いを綴ったのではないのか。関谷純が氷菓第二号を持っていたのは、彼の声に気づいた誰が送ったのではないのか……その理由は分からずじまいですが、あの時周囲で見守る側だった者として、理解出来ても語る資格は無いと感じたのでしょうか。

・台割を作る摩耶花
 「漫研に所属している=漫画が描ける」とはならない。となると……?原作では興味深い展開になっていますから、早く続きが読みたいですね……


・「確かに10年後の私は気にしないのかもしれません。でも、今感じた私の気持ち、それが将来どうでもよくなってるかもなんて、今は、思いたくないんです」(千反田)
 10年も経てば興味も変わるし、考え方も変わる。私事になりますが、ブログを10年以上も書いていると、似たような話を書くこともありまして。
 それが作品の感想となると若干あるいは大きく変化していることもあります。だからといって「今の感想が全て。10年前の感想なんてどうでもいい」というわけではなく、10年前の感想はその時の私にしか抱けない大切な感想であり、当時そういった思いを抱いたからこそ、今との比較が面白く感じられることもあります。

 10年後の自分が高校生活を振り返って後悔しないかどうかなんてわからない。分からないからこそ、目の前にある「今」を大事に積み重ねることで、その判断材料を少しでも増やしていくことも大切なのだと思います。何事も経験あるのみ、です。



 といった感じで氷菓編はこれにて終了。次回、次々回は短編を挟んで「愚者のエンドロール」編へと続きます。

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