みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

秋の野

2019-09-21 08:11:58 | 八郷の自然と風景
虫たちが夜通し楽を奏でてくれる季節だ。ツヅレサセコオロギとスズムシが常連。甘く切なく美しいカンタンの声は今季はまだ耳にしない。

昨夜来、時折の小糠雨が野を濡らしている。犬を連れ、杖を突き、ヨタヨタと足腰の苦痛に耐えながら早朝の散歩に出かける。リハビリ施設の無味乾燥な室内で歩かされるよりは、はるかに恵まれているようにも思う。

路傍は秋草の競演だ。キツネノマゴ(狐の孫)は、狐の尾に喩えられた小さな穂の下の方から、唇形の爪の先ほどに小さな花が咲き継ぐ。花穂の上の方で咲く今頃になると、もう草全体に老いが兆している。

草むらに紛れてツリガネニンジン(釣鐘人参)がひっそりと花茎を傾けているのを見つけると、心の小窓が開くような気がする。

メヒシバ(雌日芝)はありきたりの草だけれど、群生してほっそりした穂を掲げ、少しの風にも揺れる風景は、穏やかで悪くない。その一角にワレモコウ(吾亦紅)の悪戯っ子のような丸っこい花穂が飛び出していることもある。

          飛び出して虚空を知らず吾亦紅

緩い坂道をヨロヨロしながら、飼犬に引っ張ってもらって帰庵。庭と菜園を見回る。

       

菜園の外れに、彼岸花のツノのような花茎が突き出し始めた、夏の間は地上部に何も無いから、突然突き出す花茎の姿は、異様な感じがする。蕾を付けている花茎もある。裏庭の半日陰のところに移植した秋海棠は株を増やし、毎年、秋を忘れずに優雅な花房を垂らす。



菜園の端っこのモミジアオイ(紅葉葵)は南国の花らしい鮮やかな紅。でも、こんなところにわざわざ鑑賞に訪れてくる人は滅多にいない。ただ咲きたいから咲いているのでしょう。



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