当地の俳句の会を長く指導されていた恩師が逝去されたのは、東日本大震災の年の夏。お彼岸の季節だから、との長老の提案に従って、今日の吟行は墓参を兼ねることになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/3f/49fca64443ad026e2f7891c48506cc2c.jpg)
菩提寺の浄土寺は火災焼失後に恩師等の尽力を得て再建されたものだそうで、なかなか立派な構えなのだけれど無住寺で、常住の御住職はいらっしゃらない、というのは残念です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/83/ef25a5a8a19e16aa8a6335921477e9c9.jpg)
恩師の御墓は旧家らしい歴史を感じさせるものです。お人柄も俳句も上品で穏やか、しかも気さくな方で、慕う方が多かったと思います。優秀な御家族にも恵まれていらっしゃいましたが、最愛の御家族に早世されるお悲しみも秘めておられたこと・・等々、皆で偲びました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c0/cf48456442ead025a2cab64312bde620.jpg)
墓参の後、近くの恋瀬川岸へ歩き、光安寺橋を渡って右へ少し入ったところに囲われている虚無僧の墓碑(文化15年=文政元年)を訪ねました。この辺りは、虚無僧寺の光安寺の跡だったんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/d3/f8fe754c6d10880c4bca447e30f58a33.jpg)
虚無僧の塚を掠めり春疾風(はやて)
八郷町民文化誌「ゆう」№4に、「往古の虚無僧が作曲し吹き伝えてきた尺八本曲を吹嘯して」おられる、という斉藤孝介氏の『簫籟(しょうらい)~普化宗小史と虚無僧寺「光安寺」に就いて』の記事があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/14/7fa9f32ccac200a0d8961874b2f949ee.jpg)
尺八についての専門的な内容は私の理解を超えていますが、綿密な調査を経て泥土に埋もれていた虚無僧塚を見出された氏の深い思いに感銘を受けました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/ba/57ebd74bb76cb8bae838635bef51f7e5.jpg)
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菩提寺の浄土寺は火災焼失後に恩師等の尽力を得て再建されたものだそうで、なかなか立派な構えなのだけれど無住寺で、常住の御住職はいらっしゃらない、というのは残念です。
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恩師の御墓は旧家らしい歴史を感じさせるものです。お人柄も俳句も上品で穏やか、しかも気さくな方で、慕う方が多かったと思います。優秀な御家族にも恵まれていらっしゃいましたが、最愛の御家族に早世されるお悲しみも秘めておられたこと・・等々、皆で偲びました。
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墓参の後、近くの恋瀬川岸へ歩き、光安寺橋を渡って右へ少し入ったところに囲われている虚無僧の墓碑(文化15年=文政元年)を訪ねました。この辺りは、虚無僧寺の光安寺の跡だったんですね。
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虚無僧の塚を掠めり春疾風(はやて)
八郷町民文化誌「ゆう」№4に、「往古の虚無僧が作曲し吹き伝えてきた尺八本曲を吹嘯して」おられる、という斉藤孝介氏の『簫籟(しょうらい)~普化宗小史と虚無僧寺「光安寺」に就いて』の記事があります。
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尺八についての専門的な内容は私の理解を超えていますが、綿密な調査を経て泥土に埋もれていた虚無僧塚を見出された氏の深い思いに感銘を受けました。
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Yatouです.虚無僧寺光安寺跡について私のblogを参照していただき,ありがとうございました.
皆さんに見ていただくことに,何の問題もありません.また,ご連絡いただき,感謝します.
茨城県には県南地域,筑波山,県北地域などに,小さな虚無僧寺が多く存在していたようですが,当時の石碑・墓石などが残っているのは,この光安寺跡のみのようです.
マニアックな話題なのでご興味は無いだろうとは思いますが,以下のHPにblogの内容を取りまとめてあります.
http://homepage3.nifty.com/umiosa/index.htm
おかげさまでいい吟行が出来ました。貴ブログ記事を利用させて頂いたことをお赦しくださり、有難く存じます。
yatou様のHPを少し拝読しました。色々なことをきちんと調査の上で記録していらっしゃるんですね。
虚無僧は世間の秩序からのハグレ者とも言えるのでしょうか。そうしたハグレ者の存在を事実として容認した地域(光安寺周辺とか)というのは、懐が深い風土だったのかも、と思ったりしています。また、禅宗を詐称したとはいえ、禅宗の精神?と無関係でもなかったのでしょう。尺八を含めて音楽全般に疎い私ですが、尺八の音色には、その奏が読経に相当する、という説?を肯かせ得るものがあるようにも思います。
今まで考えたこともなかった虚無僧という歴史的存在に、私なりに興味を感じてきました。おかげさまで!