みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

良寛さん   その13《老いと死》

2021-07-03 14:32:56 | 仏教
『法華讃』を執筆された五合庵を、良寛さんは六十歳のとき出られて、山麓の乙子神社の草庵に移られた。
当時とすれば老境で、国上山の山上での生活は何かと不自由だったのではないか、と水上勉は著書「良寛」に書いている。

六十九歳になられたとき、島崎村の木村元右衛門家の裏小屋へ入られて、木村家の世話を受けることになった。

          首を回らせば七十有余年
          人間の是非を飽くまで看破す
          往来跡幽かなり、深夜の雪
          一炷(いっしゅ)の線香 古窗(こそう)の前     良寛

木村家が真宗門徒であったところから、良寛が禅宗から真宗へ、つまり、自力から他力宗の道へ変ってきているのではないか、という人がある。

が、良寛にはもはや、そういう自他力の区分けは存在しない。老いの身に親切な人が現れ、お世話しようといってくれたのである。ただ有難い。

いいかえれば、嘗て詩に、若い気魄をにじませて、教団や僧のありようを批判した力はもうなかった。

          草の庵に寝てもさめても申すこと南無阿弥陀仏ナムアミダブツ     良寛

                                          
                                                    (水上勉著「良寛」より)

七十四歳になられた良寛さんは、木村家の人々と貞心尼に看取られた。

          生き死にの界(さかい)はなれて住む身にも避らぬ別れのあるぞかなしき     貞心尼

年が改まり天保二年正月四日、大雪の中、弟の由之が到着して間もなく良寛さんは息をひきとった、という。



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