『法華讃』を執筆された五合庵を、良寛さんは六十歳のとき出られて、山麓の乙子神社の草庵に移られた。
当時とすれば老境で、国上山の山上での生活は何かと不自由だったのではないか、と水上勉は著書「良寛」に書いている。
六十九歳になられたとき、島崎村の木村元右衛門家の裏小屋へ入られて、木村家の世話を受けることになった。
首を回らせば七十有余年
人間の是非を飽くまで看破す
往来跡幽かなり、深夜の雪
一炷(いっしゅ)の線香 古窗(こそう)の前 良寛
木村家が真宗門徒であったところから、良寛が禅宗から真宗へ、つまり、自力から他力宗の道へ変ってきているのではないか、という人がある。
が、良寛にはもはや、そういう自他力の区分けは存在しない。老いの身に親切な人が現れ、お世話しようといってくれたのである。ただ有難い。
いいかえれば、嘗て詩に、若い気魄をにじませて、教団や僧のありようを批判した力はもうなかった。
草の庵に寝てもさめても申すこと南無阿弥陀仏ナムアミダブツ 良寛
(水上勉著「良寛」より)
七十四歳になられた良寛さんは、木村家の人々と貞心尼に看取られた。
生き死にの界(さかい)はなれて住む身にも避らぬ別れのあるぞかなしき 貞心尼
年が改まり天保二年正月四日、大雪の中、弟の由之が到着して間もなく良寛さんは息をひきとった、という。
当時とすれば老境で、国上山の山上での生活は何かと不自由だったのではないか、と水上勉は著書「良寛」に書いている。
六十九歳になられたとき、島崎村の木村元右衛門家の裏小屋へ入られて、木村家の世話を受けることになった。
首を回らせば七十有余年
人間の是非を飽くまで看破す
往来跡幽かなり、深夜の雪
一炷(いっしゅ)の線香 古窗(こそう)の前 良寛
木村家が真宗門徒であったところから、良寛が禅宗から真宗へ、つまり、自力から他力宗の道へ変ってきているのではないか、という人がある。
が、良寛にはもはや、そういう自他力の区分けは存在しない。老いの身に親切な人が現れ、お世話しようといってくれたのである。ただ有難い。
いいかえれば、嘗て詩に、若い気魄をにじませて、教団や僧のありようを批判した力はもうなかった。
草の庵に寝てもさめても申すこと南無阿弥陀仏ナムアミダブツ 良寛
(水上勉著「良寛」より)
七十四歳になられた良寛さんは、木村家の人々と貞心尼に看取られた。
生き死にの界(さかい)はなれて住む身にも避らぬ別れのあるぞかなしき 貞心尼
年が改まり天保二年正月四日、大雪の中、弟の由之が到着して間もなく良寛さんは息をひきとった、という。
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