臨済禅では「仏に逢うては仏を殺し 祖に逢うては祖を殺せ」(『臨済録』より)と言われている。良寛さんが修行されたのは曹洞禅だけれども、同じ禅宗だ。良寛さんが『法華経』を足蹴にしたり弄んだりされたのは、むしろ当然だったのではないか、と私は思う。
私は、『法華讃』を作った。全部で百二首ある。すべてここに並べておいた。これを折につけよく味わってほしい。その際、安易に受け止めてはならぬ。というのも、それぞれの句に、深い意味があるからだ。その深い意味に、一念でも合致すれば、その場で仏となるであろう。(竹村牧男氏の現代語訳)
上記の「閣筆」を以て、良寛さんは『法華讃』を閉じている。
法華経をよく味わってほしい、と言っているのではない。御自身が著わした『法華讃』をよく味わってほしい、と言っている。
そして、この『法華讃』の一箇所でも体得できれば、読者のあなたは即座に仏の境地に達するだろう、と言うのだ。
こんなにも不遜で傲慢な著者を、私は知らない。
私は、『法華讃』を作った。全部で百二首ある。すべてここに並べておいた。これを折につけよく味わってほしい。その際、安易に受け止めてはならぬ。というのも、それぞれの句に、深い意味があるからだ。その深い意味に、一念でも合致すれば、その場で仏となるであろう。(竹村牧男氏の現代語訳)
上記の「閣筆」を以て、良寛さんは『法華讃』を閉じている。
法華経をよく味わってほしい、と言っているのではない。御自身が著わした『法華讃』をよく味わってほしい、と言っている。
そして、この『法華讃』の一箇所でも体得できれば、読者のあなたは即座に仏の境地に達するだろう、と言うのだ。
こんなにも不遜で傲慢な著者を、私は知らない。
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