みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

良寛さん   その11《雪野の白鷺》 

2021-07-01 18:20:26 | 仏教
観世音菩薩ほど多くの人々に親しまれている菩薩は他にないであろう。

なにしろ、どんな苦悩であっても、どんな災難であっても、「南無観世音菩薩」と称えれば、観音さまは直ちにその音声を観じて、苦悩も災難も免れさせてくれるし、どんな希望も叶えさせてくれる、というのだから。

実に有難いと思われる観世音菩薩だが、この菩薩について良寛さんは『法華讃』で、何と言っているのか。
「無観」こそが最も好観なのだ、と。
観世音菩薩の観を「真観、清浄観、広大智慧観、悲観及慈観」と讃えている法華経「観世音菩薩普門品」を真っ向から否定しているのだ。

災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候。

文政十一年、三条の大地震(記録では、死者千六百七名、倒壊家屋一万三千人余)が起きた際の良寛さんの言葉だ。

『法華讃』の「観世音菩薩普門品」についての章には、良寛さんの美しい歌が記されている。

          久方の雪野に立てる白鷺はおのが姿に身を隠しつつ

「白鷺」は「法華」の象徴だろう。
この美しい風景の中では、観世音菩薩が有難いことなど関係ない! と言いたいのか、なんと

          観音妙智力  咄(とつ)

という舌打ちで、「観世音菩薩普門品」の讃を締めくくっていらっしゃるのだ。

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