みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

良寛さん   その6《「法華讃」は解説書か?》

2021-05-19 14:28:14 | 仏教
良寛さんは越後へ帰郷後、取り敢えず寺泊郷本の塩焚小屋で寝泊まりされたらしい。しばらくしてから旧友の勧めで、国上山(くがみやま)の中腹にある「五合庵」(国上寺(こくじょうじ)の隠居所)に入られた。

「法華讃」が執筆されたのは、小島正芳氏(全国良寛会副会長)によれば、五合庵時代から乙子神社の草庵時代初めにかけて、と推測されている。訂正や書き込みも多く、かなり長い期間、推敲を重ねられたと見られている。

水上勉は、良寛さんの帰郷の理由として「文芸への野心」を強調しているけれども、「法華讃」は果たして文芸と言えるだろうか? 法華経という仏典の解説書であるならば、それは、読者を教化しようとする仏教啓蒙書であって、文芸とは言い難いのではないか、と私は疑った。

ところが、である。逐条解説によく見られるような、型に嵌まった解説とはまるで異なっていた。法華経をダシにして言いたい放題、時に天を突き、時に地の底を掘るようでもあり、或いは法華経を貶し、法華経を弄し、そして「法華経」というよりも自身の「法華讃」を自讃している。まさに自由自在な精神の発露であり、文芸の創作だと言わざるを得ない。

そもそも「法華経」自体が文学的だと言われている。

一般に大乗仏教経典は、空思想、唯心思想や如来蔵思想(仏性思想)などを説くものである。しかし『法華経』は、思想的な教理を展開することは少なく、譬喩物語が多く用いられていて(三車一車・火宅喩、長者窮子喩、等々の法華経七喩がある)、いわば終始、文学的な作品であるのが特徴である。(竹村牧男氏)


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