「四十にして惑わず」という言葉の意味は、
「四十くらいになったら惑ってはいけない」ではなく、
「四十くらいになったら人は自然と、惑わなくなる」
ということなのだそうだ。
何に対してか?、というとこれはやはり、
「生き方」なのだろう。
「生き方」って、いろいろあるかもしれないな・・・と
今になって思う。
「選択肢」があったか?と言われれば、
「なかった」としか答えようがないのだが。
「生き方」というのはそういうものではなかろうか。
だとしたら人は、「惑い」など、
全然持たずに生きているのかもしれない。
あちにフラフラ、こっちにフラフラ・・・と
惑ってるように見えたとしてもそれは、
ただの「必然」でしかなかったんだぜ。
結果的に人は、生きたいようにしか生きられないし、
それはそれでいいのかもしれない。
もしくは、
良くも悪くも、ないのかもしれない。