写真について、記憶について。

2021-06-06 18:51:53 | Weblog

写真、というものについて考えさせられる出来事が重なったので、

そのことについて書く。

 

 

まず、

先月の終わりごろ…5月29日に、佐藤ジンという写真家の人の

写真展を見に行った。

日本のパンク・ニューウェヴなどの当時の写真。

1970年代のものが中心だったと思うのだけれど、とにかく圧巻だった。

 

スターリン、フリクション、INU、

エッグプラント破壊中のハナタラシ、当時のウルトラビデ、

アーントサリー、ETC,ETC。

名前を挙げて行ったらきりがないし、知らないバンドも多かった。

 

 

白黒の、リアルな感じがする、剝き出しの・・・・・写真。

 

 

「過去」が完全に、平面上に固定されて、そこにあった。

 

 

 

そしてもうひとつ、写真に関する出来事。

 

 

その写真展と同時期くらいに、YOUTUBEに

 

僕が昔やっていた「ばるぼら」というバンドの未発表音源がアップされたのだ。

 

(ああ、もちろん、佐藤ジンさんとは何の関係もない。時期が同じだっただけ。)

 

動画はなく、昔の我々の写真が何枚も何枚も。

 

そのYOUTUBE音源は、僕のこのブログでも紹介した。「アムネシア」のことだ。

 

(またこのタイトル、「記憶喪失」「健忘症」だって!もう・・・可笑しくなるよね。)

 

そしてそこでも僕は見た、平面上に固定された「過去」を。

 

それで思った。

 

 

写真って、「記憶」に似ているのだ・・・・・すごく似ている。

 

 

そして、怖いくらいに鮮明なのだ、その記憶は。

 

だから我々は錯覚してしまう、

それが「もう消え去ってしまったもの」だ、ということを忘れてしまう。

 

 

写真とか記憶とかって、恐ろしい、と僕は思う。

 

 

人間だけだよ、こんなに鮮明な「過去の記憶」を持つ生き物は。

 

そしてそれは「幻想」なのだ。

 

人間の持つ想像力が作り出した幻想。

 

 

幻想に我々は心を乱され、振り回される。

 

 

地球が太陽の周りを廻っていることも、

月が地球の周りを廻っていることも、惑星がみんな同じように

太陽の周りを廻っていることも、銀河が星の集まりだ、ということも、

恒星が何光年も離れたところで燃え盛っている太陽のような星々だ、ということも、

 

全部、もともとは、想像力の産物なのだ。

 

 

とは言え、宇宙に関することは様々な実験、実証で、

その想像が正しい、正しかった、ということが少しずつ確認されていきつつある。

それはとてもいいことだ。

 

 

でも、「タイムマシン」的なことだけは、この先何百年たっても実証されないであろう。

 

あれは、あれこそ「幻想」なのだ。

 

 

人間の鮮明な記憶力と想像力が作り出した幻想。

 

 

過去の鮮明な写真を目にすることによって我々は

 

「想像力のタイムマシン」に乗る。

 

 

「それ」が、失われず、今でもすぐそこに、

 

手が届きそうなところに燦然と存在しているような錯覚に陥る。

 

 

 

そういう意味で、写真とは、罪なものだなぁ、と

 

 

思った次第。

 

 

 

 

写真は、その写真展の会場。

 

写真について論じる文章に、僕が自分で撮った写真展の写真を載せる。

 

 

なかなか倒錯的ではある。

 

 

 

 

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