東京(付記・訂正アリ)

2016-08-01 21:05:03 | Weblog

東京に住んでいた頃は、「東京以外の、その他の街」があることすら、知らなかった。

・・・って言っても

俺が東京に住んでいたのは小学一年生までで、

東京に限らず、子供なんてみんな そんなもんだろう・・・とは思う。

だけど東京の人って他所より、そういう意識が強いような気がする。

地方のことなんてあまり、考えることもないんじゃないかな。


・・・だから我々が一家で、ヒロシマ県フクヤマ市へ引っ越したときの衝撃は強かった。

見渡す限りの風景は田んぼだし、子供が自分のこと「わし」って言ってるし。

何だか「非友好的な日本昔話」みたいだった。


俺は自分の母親が東京生まれだったから、

自分のとこは(少なくとも母方は)、先祖代々からの江戸っ子なのだろう・・・と思い込んでいた。

でも全然違った。


祖母の兄・・・俺からみたら「大叔父」にあたるひとが、福山の画家で、

彼が東京の画壇に挑戦するために上京したのだ。

妹である俺の祖母(まだ女学生だった)も、一緒に福山から東京に出て、大叔父の画業を助けた。

そして祖母は東京で子を産んだ。それが俺の母。

母はやがて、千葉から出てきた、みなしごの青年と結婚する。それが父。

新宿・戸山ハイツで兄が産まれ、俺が産まれる。

そしてある日、

大叔父は突然の病に倒れ、医者の誤診によって帰らぬ人となる。享年58歳。


当時の俺は知らなかったのだが、福山への引越しは、

大叔父が亡くなったから(祖母の)郷里へ帰ることにした、という側面があったのだ。


・・・・・・・・・・・・・大叔父。

豪放で、冗談好きで、気性の激しい、男前の画家。

俺はその人のことを、カケラも覚えていない。

赤ん坊だった俺と、その頃50代だった彼とは会っているはず なのだが。

記憶がないのは・・・しょうがないことだけど、かえすがえすも残念だ。


しかし思うのは

我々の一家って「彼」に振り回されたんだな、良くも悪くも。


「彼」の名前は、片山公一 という。


福山市に、「彼」のお墓がある。

祖母も今では、そこで眠っている。








付記

何の気なしに大叔父のことを書いたのだけれど、

アップしてから一応・・・という感じで資料を当たってみたら、

大叔父の享年は58歳だった。本文は訂正済み。

1969年の8月3日に亡くなっている。

8月3日?

・・・・命日のすぐ近くに、こういう事を書く気になったのはちょっとだけ不思議。

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