あらゆる物事は「善」である。
何故なら、我々は
運命に対してまるっきり無力だから。
日々の天候に異議を唱えることなど出来ないし、
あらゆるものの寿命にたいしても然り。
重力にも、引力にも、
ただそれらは
そこにあるもの・・として誰もが
(無意識に)容認しながら生きている。
時間を逆行することも出来ない。
我々は宇宙の中で、
はなくそみたいに小さな存在なのだ。
はなくそから見たら「世界」は、
「善」でしかない。
世界の進む方向がすなわち、
我々の進む方向であるし、その中での
「出会い」や「別れ」に意味なんて
あったってなくったっていいのだ。
「生」に、あえて意味を求めるのは止めようと思う。
「価値観の多様さ」、というのは恐らく
我々の想像を超えている。
すぐ近くで生きていても
蟻は恐らく象の存在を知らない(・・であろう)し、
象には蟻が、見えてすらいない(であろう)。
これは「屁理屈」ではない。
・・「屁理屈」って言う奴が「屁理屈」やっちゅうねん。
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