まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

上田利治・元ブレーブス監督が死去

2017年07月02日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
このブログで、2回連続してNPB関連の訃報について取り上げることになるとは思わなかった。

元阪急、オリックス、日本ハムの監督として多くの実績を残した上田利治さんが1日に死去した。80歳ということで、先日42歳で急死した西武の森慎二コーチと比べれば長生きであったが、それでも昭和の野球の一時代を築いた方がお亡くなりになるのは淋しいニュースである。

私の場合、現役の監督として見ていたのは阪急の最後のほう、そしてオリックス、日本ハムの監督としてで、パ・リーグ4連覇、日本シリーズ3連覇というのは後に映像や文字で知ったわけだが、非常に頭のよい方だったという認識である。高校時代には後にゴルフで名を馳せる尾崎3兄弟の勉強を見てやっていたそうだし、(野球部推薦で得点の上乗せはあったそうだが)私の母校でもある大学の一般入試にトップで合格したとか。現役選手としてはそれほど成績が残せなかったが、早くから指導者としての適性を見込まれ、若くして阪急の監督に就任、知略を活かした戦いを繰り広げた。

昭和のプロ野球の懐かしい演出として、オリックス・バファローズでも「大阪クラシック」「関西クラシック」「勇者復刻」などさまざまなイベントを行っているが、その中で上田さんが登場する場面がなかったのが今思えば残念である。ご高齢なのだろうし、健康状態もあまり良くなかったのかもしれないが、もう一度「ブレーブス」のユニフォームでグラウンドに立つ姿を見たかった。

一つ思い出したのが、グラウンドに姿を現したということであれば、2005年、ちょうどオリックス・バファローズと楽天イーグルスの初年度の対戦で、オリックス側が仰木彬監督を真ん中に、西本幸雄、そして上田利治の両氏をグラウンドに向かえるセレモニーを見たのを覚えている。阪急・近鉄・オリックスの伝統を受け継ぐのはオリックス・バファローズだという必死のアピールのようにも見えたが、この試合をきっかけに、近鉄バファローズの後はこのチームを応援しようと腹をくくったきっかけにもなった試合である。

その名将3人ともあの世に行ってしまうことになった。これからは、後輩たちの戦いぶりをぜひ遠くから見守っていただきたいものである。

謹んで、ご冥福をお祈りします・・・。
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