竜串からショートカットする形で四万十の市街地まで戻る。歩きでの遍路道は竜串から大月を回って宿毛の延光寺、さらに海沿いから愛媛県に入るため、そのルートに従うなら四万十川の上流に行くことはない。だから今回は完全なオプションということでご理解いただければ。
今回の四国めぐりでもたびたび触れている12年前の四国旅行の時は、中村でレンタサイクルを利用して、四万十川沿いに上り、佐田の沈下橋を見物している。遊覧船にも乗っており、帆かけ舟をバックに撮ってもらった写真が残っている。この時は佐田の沈下橋で折り返し、その後で足摺岬に向かっている。今回はクルマの機動性を利用して、予土線の江川崎駅まで走ることにする。カーナビでの時間予想でも十分行って帰って来ることができる。
ナビの進路にしたがい、高校野球でも知られる中村高校のグラウンドの横から国道421号線に出る。曲がる時、角に記念碑のようなものが目に入る。後で知ったことだが、今年の春の選抜出場と、40年前の選抜でエース山沖(のち阪急、オリックス)を擁し、部員12名の「二十四の瞳旋風」で準優勝を果たした記念で、ともにこの7月にお披露目されたばかりなのだとか。うーん、今年の選抜はともかく、二十四の瞳の時の記念碑が今に建つというのなら、クルマを引き返してでも見ておけばよかった。
四万十川にはいくつかの沈下橋がある。まずは佐田の沈下橋に行くことにする。ナビのルートからは外れるが、案内標識に従って走る。ルートを外れたから引き返せというアナウンスを無視し続けると、ようやく四万十川沿いに走るのが正しいルートに変わった。そして駐車場に着くと県内外のナンバーの多くのクルマが停まっている。中村の市街地からもっとも近く、また下流のため沈下橋の中でもっとも長い。だから多くの人が訪れる。中村の市街地に近いといっても、周りは山に囲まれ、自然の風情満載である。下流の離れたところに小さく舟の帆が見える。あれが、以前に私も乗った遊覧船である。
沈下橋は歩行者天国かのように、あちこちで記念撮影や自撮りをする人が目立つ。ただそんな中、クルマが橋の上にやって来る。沈下橋は地元の人たちの生活道路ではあるが、やって来たのは他県ナンバーのクルマである。橋の2ヶ所が心持ち幅が広く、そこに待避してやり過ごす。この人たちは、生活道路というよりはせっかくなのでクルマで渡ってみようというクチだろう。まあそれはさておき、暑さの中にどこか爽やかなものを感じる沈下橋である。
駐車場に駐車場に戻る時、橋のたもとを見上げたところに看板があった。平成17年(2005)の9月、台風14号の影響で四万十川が氾濫し、中村の市街地が全面浸水するなどの大きな被害が出た。看板はその時の佐田の沈下橋付近の水位で、結構見上げる位置にある。高いところで10メートルほどの水かさになったとは、この穏やかな景色からは考えられない。この出来事は12年前・・・前に私がこの地に来た時のことである。その四国旅行の1ヶ月後に私は大阪から東京に転勤したのだが、申し訳ないがこの台風被害については覚えていない。
昔の水害は、台風によるものが多いというイメージがある。ただ最近各地で発生している水害は・・・今年なら福岡・大分や秋田がそうだし、私の中では3年前の広島の水害が記憶に新しいのだが・・・台風云々よりも、前線の影響、さらには突然の豪雨によるものが多く、12年前とは気候も変わっているのではないかと思う。これからの防災や、危険予知をどうするか新たに考える必要があるかと。
話を戻して、ここから川沿いに上ることにする。江川崎までこの先、三里、高瀬、勝間、口屋内、岩間と沈下橋がある。少し走ると三里の沈下橋の案内がある。こちらは小ぶりなもので、佐田の沈下橋のように駐車場があるわけでもない。橋の手前の路肩に停める。
こちらは川遊びにより適しているというか、アクセスがしにくいため穴場のポイントのようだ。水遊びの歓声が上がる。一方で、橋の上には人がいない。・・・だからというわけではないが、今度は私もクルマで渡ってみようか。ということでクルマに引き返し、そろそろと沈下橋の上に乗り出す。一応両側のサイドミラーには橋の端の白線がはっきり見えており、普通に走らせれば落ちることはないはずだが、こういうのはやはり緊張する。対岸まで渡りきり、その先は行き止まりのため向きを変えて再び橋を渡る。短い長さの橋だったが、あまりこうしたものは、渡らずに済むのであればクルマでは渡りたくないなと思った。ただ、生活の道であることは確かである。
再び国道421号線に合流して向かったのは高瀬の沈下橋。国道から橋に下りるところにクルマを停める。もう、沈下橋をクルマで渡ることはしない。
こちらは地元の子供たちの遊び場にもなっているようだ。真ん中は少し深いのか、ドボンという音がする。沈下橋の上から飛び込んだもので、仲間で笑いあっている。「お前も飛び込め~」と言われて別の子供もドボン。そして、橋の上にいる仲間がサンダルを川に投げ入れる。久しぶりにこうした光景を見たように思う。頭の中に、なぜか井上陽水の「少年時代」のメロディーが流れる(実際の歌の景色よりは時季が早いのだが)。と同時に、阪神が優勝したからといって道頓堀川に飛び込むようなアホな大人にならないようにと願うのであった(まあ、飛び込みを招くような事態には金輪際なってほしくないのだが・・・)。
また国道421号線を走るが、この国道もこの辺りから「酷道」の様相を呈してくる。中央線がなくなり道幅が狭まり、そのうち離合に緊張する。場所によっては、「対向車接近」の電光板が光る。そうしたところは対面通行の信号のようなもので、対向車が来るまではその場で停車する。そんな道が結構続く。
結局勝間と口屋内の沈下橋は車窓で通過ということになり、やって来たのは最も江川崎寄りの岩間の沈下橋。こちらは四万十川のイメージにふさわしいとして、観光用のポスターなどでもよく被写体になる橋とのこと。休憩所から沈下橋を見下ろすスポットには、前日中村の駅前で見た三山ひろしの「四万十川」の歌碑もある。その中で、「遠い流れの四万十川越えて 心つなげる沈下橋」と歌われている。
こちらも佐田の沈下橋と同じく有名なためか大勢の人が訪ねていたし、クルマで渡る光景も見られる。遠い流れの果て・・・はオーバーかもしれないが、目の前の橋は皆が渡ってみたくなるような、対岸に行ってみたいような橋である。しばらく対岸の河原で憩い、川に足もつけてみる。ただ・・・この日の高知の最高気温は35度。少し足をつけただけの川面は生暖かいとすら感じた。
沈下橋はこれで最後で、江川崎の町に入る。江川崎は2013年8月に国内の観測史上最高の41度を記録したことで知られている。そのためか、「日本で一番暑い町」がPRになっている。ここまで寄り道しながらだったこともあり、竜串から3時間ほどでゴールの江川崎駅に着いた。ここにも、「日本一暑い」の文字があり、改札のところには、真ん中が谷状になった木のベンチが置かれている。「日本一暑いらぶらぶベンチ」というもので、気候の暑さとカップルの熱さをかけたもの。まあ、このベンチに私が座ることはないだろうな・・。
一通り駅を見て、さて折り返そうかなとクルマに戻ろうとした時、窪川方向から汽笛の音がした。これは列車が来るのだろう。その姿を見ようと駅舎に入ると、前方を黄色の車両が横切った。おおっと、「しまんトロッコ」号だ。
「しまんトロッコ」は江川崎でしばらく停車する。牽引する気動車はトイレのない型式のため、ここでトイレ休憩ということもあるし、窪川からトロッコ車両で四万十川沿いに揺られて来た客もここで降ろされる。この先宇和島へは気動車に乗ることになる。ホームに降りた客もしばらく撮影タイムだ。
発車時刻となり、乗客は車内に戻る。ホームに一人残っていた私に車掌が「発車しますよ!」と声をかけるが、たまたま見かけたので写真だけ撮ったと答える。エンジン音を上げて出ていく気動車を見かけると、また駅には静けさがやって来た。
今回のドライブはここで折り返し、中村の町並みに向けて走り出す・・・。
今回の四国めぐりでもたびたび触れている12年前の四国旅行の時は、中村でレンタサイクルを利用して、四万十川沿いに上り、佐田の沈下橋を見物している。遊覧船にも乗っており、帆かけ舟をバックに撮ってもらった写真が残っている。この時は佐田の沈下橋で折り返し、その後で足摺岬に向かっている。今回はクルマの機動性を利用して、予土線の江川崎駅まで走ることにする。カーナビでの時間予想でも十分行って帰って来ることができる。
ナビの進路にしたがい、高校野球でも知られる中村高校のグラウンドの横から国道421号線に出る。曲がる時、角に記念碑のようなものが目に入る。後で知ったことだが、今年の春の選抜出場と、40年前の選抜でエース山沖(のち阪急、オリックス)を擁し、部員12名の「二十四の瞳旋風」で準優勝を果たした記念で、ともにこの7月にお披露目されたばかりなのだとか。うーん、今年の選抜はともかく、二十四の瞳の時の記念碑が今に建つというのなら、クルマを引き返してでも見ておけばよかった。
四万十川にはいくつかの沈下橋がある。まずは佐田の沈下橋に行くことにする。ナビのルートからは外れるが、案内標識に従って走る。ルートを外れたから引き返せというアナウンスを無視し続けると、ようやく四万十川沿いに走るのが正しいルートに変わった。そして駐車場に着くと県内外のナンバーの多くのクルマが停まっている。中村の市街地からもっとも近く、また下流のため沈下橋の中でもっとも長い。だから多くの人が訪れる。中村の市街地に近いといっても、周りは山に囲まれ、自然の風情満載である。下流の離れたところに小さく舟の帆が見える。あれが、以前に私も乗った遊覧船である。
沈下橋は歩行者天国かのように、あちこちで記念撮影や自撮りをする人が目立つ。ただそんな中、クルマが橋の上にやって来る。沈下橋は地元の人たちの生活道路ではあるが、やって来たのは他県ナンバーのクルマである。橋の2ヶ所が心持ち幅が広く、そこに待避してやり過ごす。この人たちは、生活道路というよりはせっかくなのでクルマで渡ってみようというクチだろう。まあそれはさておき、暑さの中にどこか爽やかなものを感じる沈下橋である。
駐車場に駐車場に戻る時、橋のたもとを見上げたところに看板があった。平成17年(2005)の9月、台風14号の影響で四万十川が氾濫し、中村の市街地が全面浸水するなどの大きな被害が出た。看板はその時の佐田の沈下橋付近の水位で、結構見上げる位置にある。高いところで10メートルほどの水かさになったとは、この穏やかな景色からは考えられない。この出来事は12年前・・・前に私がこの地に来た時のことである。その四国旅行の1ヶ月後に私は大阪から東京に転勤したのだが、申し訳ないがこの台風被害については覚えていない。
昔の水害は、台風によるものが多いというイメージがある。ただ最近各地で発生している水害は・・・今年なら福岡・大分や秋田がそうだし、私の中では3年前の広島の水害が記憶に新しいのだが・・・台風云々よりも、前線の影響、さらには突然の豪雨によるものが多く、12年前とは気候も変わっているのではないかと思う。これからの防災や、危険予知をどうするか新たに考える必要があるかと。
話を戻して、ここから川沿いに上ることにする。江川崎までこの先、三里、高瀬、勝間、口屋内、岩間と沈下橋がある。少し走ると三里の沈下橋の案内がある。こちらは小ぶりなもので、佐田の沈下橋のように駐車場があるわけでもない。橋の手前の路肩に停める。
こちらは川遊びにより適しているというか、アクセスがしにくいため穴場のポイントのようだ。水遊びの歓声が上がる。一方で、橋の上には人がいない。・・・だからというわけではないが、今度は私もクルマで渡ってみようか。ということでクルマに引き返し、そろそろと沈下橋の上に乗り出す。一応両側のサイドミラーには橋の端の白線がはっきり見えており、普通に走らせれば落ちることはないはずだが、こういうのはやはり緊張する。対岸まで渡りきり、その先は行き止まりのため向きを変えて再び橋を渡る。短い長さの橋だったが、あまりこうしたものは、渡らずに済むのであればクルマでは渡りたくないなと思った。ただ、生活の道であることは確かである。
再び国道421号線に合流して向かったのは高瀬の沈下橋。国道から橋に下りるところにクルマを停める。もう、沈下橋をクルマで渡ることはしない。
こちらは地元の子供たちの遊び場にもなっているようだ。真ん中は少し深いのか、ドボンという音がする。沈下橋の上から飛び込んだもので、仲間で笑いあっている。「お前も飛び込め~」と言われて別の子供もドボン。そして、橋の上にいる仲間がサンダルを川に投げ入れる。久しぶりにこうした光景を見たように思う。頭の中に、なぜか井上陽水の「少年時代」のメロディーが流れる(実際の歌の景色よりは時季が早いのだが)。と同時に、阪神が優勝したからといって道頓堀川に飛び込むようなアホな大人にならないようにと願うのであった(まあ、飛び込みを招くような事態には金輪際なってほしくないのだが・・・)。
また国道421号線を走るが、この国道もこの辺りから「酷道」の様相を呈してくる。中央線がなくなり道幅が狭まり、そのうち離合に緊張する。場所によっては、「対向車接近」の電光板が光る。そうしたところは対面通行の信号のようなもので、対向車が来るまではその場で停車する。そんな道が結構続く。
結局勝間と口屋内の沈下橋は車窓で通過ということになり、やって来たのは最も江川崎寄りの岩間の沈下橋。こちらは四万十川のイメージにふさわしいとして、観光用のポスターなどでもよく被写体になる橋とのこと。休憩所から沈下橋を見下ろすスポットには、前日中村の駅前で見た三山ひろしの「四万十川」の歌碑もある。その中で、「遠い流れの四万十川越えて 心つなげる沈下橋」と歌われている。
こちらも佐田の沈下橋と同じく有名なためか大勢の人が訪ねていたし、クルマで渡る光景も見られる。遠い流れの果て・・・はオーバーかもしれないが、目の前の橋は皆が渡ってみたくなるような、対岸に行ってみたいような橋である。しばらく対岸の河原で憩い、川に足もつけてみる。ただ・・・この日の高知の最高気温は35度。少し足をつけただけの川面は生暖かいとすら感じた。
沈下橋はこれで最後で、江川崎の町に入る。江川崎は2013年8月に国内の観測史上最高の41度を記録したことで知られている。そのためか、「日本で一番暑い町」がPRになっている。ここまで寄り道しながらだったこともあり、竜串から3時間ほどでゴールの江川崎駅に着いた。ここにも、「日本一暑い」の文字があり、改札のところには、真ん中が谷状になった木のベンチが置かれている。「日本一暑いらぶらぶベンチ」というもので、気候の暑さとカップルの熱さをかけたもの。まあ、このベンチに私が座ることはないだろうな・・。
一通り駅を見て、さて折り返そうかなとクルマに戻ろうとした時、窪川方向から汽笛の音がした。これは列車が来るのだろう。その姿を見ようと駅舎に入ると、前方を黄色の車両が横切った。おおっと、「しまんトロッコ」号だ。
「しまんトロッコ」は江川崎でしばらく停車する。牽引する気動車はトイレのない型式のため、ここでトイレ休憩ということもあるし、窪川からトロッコ車両で四万十川沿いに揺られて来た客もここで降ろされる。この先宇和島へは気動車に乗ることになる。ホームに降りた客もしばらく撮影タイムだ。
発車時刻となり、乗客は車内に戻る。ホームに一人残っていた私に車掌が「発車しますよ!」と声をかけるが、たまたま見かけたので写真だけ撮ったと答える。エンジン音を上げて出ていく気動車を見かけると、また駅には静けさがやって来た。
今回のドライブはここで折り返し、中村の町並みに向けて走り出す・・・。
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