まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16番「延暦寺横川中堂」~新西国三十三所めぐり・-37(根本中堂で気まぐれな天候に)

2017年07月07日 | 新西国三十三所
横川エリアからバスターミナルに戻る時に、空が暗くなっているのは感じていた。それが、休憩所で食事をして外に出ると強烈な雨である。クルマで来た人も駐車場の自分のクルマに戻るのすらためらわれるくらいだ。私もこの日は折り畳み傘をバッグにしのばせておいてよかった。

雨がすぐ止めばいいなと思うがどうもその気配はない。ならば雨宿りとして、バスターミナル側の入口に近い国宝殿に入る。この国宝殿の入館料だけは巡拝チケットの中に含まれておらず、別途500円を支払う。この「国宝殿」とは、モノとしての国宝に指定されている文物という意味ではなく、伝教大師最澄の「一隅を照らす、則ち国の宝なり」の言葉から取られたものである。やはり東塔エリアに来ると延暦寺の中心だなと感じる。ようやく最澄が出てくる。

国宝ではないが、重要文化財は数多く並ぶ。薬師如来、阿弥陀如来、不動明王、四天王などなど。また、横川でも触れた元三大師の木像もある。

企画展示の部屋では、比叡山の回峰行について紹介されていた。平安時代に、比叡山の最も奥の院とされる葛川明王院を開いた相応和尚が始めたものとされ、その歴史や修行の方法が紹介されている。有名なのが「千日回峰行」というもので、7年かけて行うという。1~3年目は年に100日、4~5年目は年に200日を行う。比叡山の山内、そして日吉大社も含めておよそ30キロのコースを、真言を唱えながら、あちこちのお堂にお参りしながら歩く歩く。それをクリアした後は「堂入り」として、無動寺のお堂に籠ったり、また赤山禅院まで往復したりと、よりハードな修行が続く。書くだけでも気の遠くなる修行だが、これを達成して「大阿闍梨」と称賛される方がいるからすごい。なお延暦寺では修行体験として「一日回峰行」というのを開いているが、「体力に自信のない方はご遠慮ください」とある。まあ、次の寺の行き先をサイコロに任せているようなおっさんには、修行そのものが高いハードルということで。

・・・という感じで国宝殿を回っても、外の雨はそのままである。これは仕方ないと、傘を差して大講堂を通り、根本中堂に向かう。途中の大講堂は広いこともあって雨宿りの場所にもなっていた。

さて根本中堂はこのたび大改修に入ったということで、お参りはできるがフェンスで囲まれている。また大屋根にも足場が組まれているし、重機も入っている。昨年から始まった大改修は10年をかけるという。有名な歴史的建物では京都の清水寺の本堂もそうで、清水寺の舞台のあの風景はしばらくフェンス込みとなるが、延暦寺に清水寺、ちょうどそういう時に差し掛かったのだと思う。

根本中堂は中でのお参りはできるので、靴を脱いで中に入り、子どもたちの書道の優秀作を廊下で見た後で外陣に入る。この外陣も広く作られているためか、雨宿りでくつろいでいる人の姿が目立つ。そんな中だが、せっかく来たのだからお勤めをする。1200年の間絶やさず守り抜かれたとされる法灯の前での般若心経である。

根本中堂から外に出ると少しは雨も収まったようだが、比叡山もこれでよしかなと、帰りは坂本ケーブルの延暦寺駅まで歩く。この駅からも大津市街や琵琶湖の眺望が良いのだが、やはりこの天候である。ちょっと惜しいかな。

坂本ケーブルで12分の乗り心地を楽しみ、坂本に降り立つ。この後京阪の坂本駅までは30分歩くのも風情があるが、今回は巡拝チケットがあるからと、接続の江若バスに乗る。石積の町並みが有名な坂本の町歩きは、またいつか来るであろう比叡山巡拝の時の楽しみとする。

さてこの後、石山坂本線で浜大津に出て、三条経由で大阪に帰ったのだが、先ほど比叡山上で遭った大雨も、浜大津に戻る頃には雨雲も切れるようになった。三条までの車中では西日すら差し込んできた。さらに、京阪の三条では傘を手にする人の姿もほとんどなく、挙げ句帰宅後には「雨なんか一日降っていない」と家の者に言われた。

あの雨は山の上ならではのものだったか。その時は、伝教大師と元三大師から、日頃の行いが悪いから喝を入れられたのかな~と、呑気に構えていた。

ただ、豪雨はそんな呑気な思いなど関係ない。

この記事を書いている時点で、福岡、大分での集中豪雨で、河川の氾濫や土砂崩れで多くの犠牲が出ている。この集中豪雨、このところ毎年エリアを変えつつ必ずどこかで大規模災害になっている。7月初めでこの有り様で、この先台風シーズンを迎えるとどこでどうなるやら。伝教大師や元三大師も、祈りの場にあれこれ担ぎ出されることになるだろうか・・・?
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