まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20回中国観音霊場めぐり~第33番「大雲院」(とうとう結願)

2021年06月11日 | 中国観音霊場

第32番の観音院からクルマで5分ほど、いよいよ第33番の大雲院に着く。何度も書くが、これで中国観音霊場めぐりもおよそ2年かけて結願となる。

結願の札所というと、山奥で堂々とした伽藍があるとか、結願(満願)をアピールするというイメージがあるのだが、ここ大雲院は開放的である。道路に面して山門があるわけでもない。

大雲院が開かれたのは江戸時代。鳥取藩池田氏の初代・池田光仲は、曾祖父である徳川家康の分霊を日光東照宮から勧請して、鳥取東照宮を建てた。その別当寺として開かれたのがこの寺である。東照宮の祭礼を受け持つとともに、歴代徳川将軍の位牌も祀り、鳥取藩の祈願所の一つとして大いに栄えたという。

しかし、明治の神仏分離で東照宮の別当寺を解かれ、鳥取藩も廃藩となったことから、当時の末寺だったところに移転した。そして、戦前の鳥取大震災で堂宇が崩壊、さらに、戦後の農地解放で寺院収入の道が断たれ、震災復興のために境内の縮小も余儀なくされたとある。

今の本堂は、末寺の霊光院の本堂として江戸時代中期に建てられたもの。

本堂の扉が開いていて、自由に中に入れるようになっている。この後法要があるようで、それに参列するらしい姿も見える。正面には阿弥陀三尊像が並ぶ。阿弥陀如来を中央に祀り、その脇に中国観音霊場の本尊である千手観音を祀る。まずはお勤めとする。

本堂の中央にある阿弥陀三尊を囲むように仏像が並ぶ。西国三十三所の各本尊、33体の観音像である。その前には札所の砂が入った袋が埋め込まれていて、西国三十三所の文字通りのお砂踏みができる。阿弥陀三尊、そして三十三の観音像たちが並ぶのは極楽浄土の中心を表現しているそうで、また結願を歓迎するかのようである。これがあるから、中国観音霊場めぐりの結願札所となったのかな。

本堂の一角に納経所があり、まずは大雲院の朱印をいただく。

また、中国観音霊場めぐりの結願ということで、納経帳の余白のページに結願の文字を入れていただく。

そして、「結願之証」をいただく。名前、住所を書く紙を渡され、それを見て賞状に名前を入れていただく。B4サイズだ。封筒に入れて渡される。

今回、鳥取までクルマで来ることにしたのはこの「結願之証」のためである。他の人のブログ画像など見ると、このサイズはB4またはA3のようで、普段持ち歩くリュックには入らない。卒業証書を入れるような筒でも用意すればいいのだが、丸めたりせず、後部座席に置けばそのまま持ち帰ることができる。

ここには中国観音霊場の「33」をあしらったバッジ、そして祈願済の「満願之札」がつく。お札には「巡拝者がお亡くなりになるまで大切に保管してください」とあり、これは大事にしておかなければ。

寺の方から特に結願を祝っていただいたわけではないが、これでようやく一つの区切りがついたかなと思う。何だかほっとした。

2年にわかった中国観音霊場めぐりのまとめはまた後ほど行うとして、これから広島に向けて少しずつ戻る。無事に帰宅するまでが札所めぐり・・というわけではないが。当初は、鳥取か岡山まで出て、岡山駅前のミシュラン居酒屋で一人打ち上げを・・と思っていたが、この状況のためそれは断念。ただ、国道~高速道路を走りながらもう少し寄り道として、ある意味の中国地方一周の完結としたい・・・。

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