まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20回中国観音霊場めぐり~智頭の石谷家住宅

2021年06月15日 | 中国観音霊場

話はまだ5月30日。中国観音霊場めぐりをめでたく大雲院で結願した後、まだ午前中だが少しずつ広島に向けて戻ることにする。鳥取県の東部から岡山県に南下して、中国地方一周のほうも完結させる。ここからは番外編、おまけ記事だ。

鳥取市街から国道53号線を南下する。国道53号線は鳥取と岡山を結ぶ幹線道路だが、こちらにも鳥取道という無料の高速道路が整備されている。今回は久しぶりに下道を通ることにしており、その高架橋も見ながらの走行である。

途中右手に天守閣の建物が見える。河原城という建物で、因美線の車窓でも目にしたことがある。秀吉の鳥取攻めの時に拠点として使われた城で、後に廃城となったが、平成初期のふるさと創生事業で河原町(当時)が犬山城を模した天守閣を築いた。展望台として使われているそうだ。

因美線の線路に沿って走る。前日の芸備線~伯備線~山陰線と線路に近いところを走った後、この日は因美線沿いということで、それなりにローカル線の車窓に近い視点での走行である。こうやって線路を横に見ると、次はあちらの上を走りたいなとも思う。

大雲院を出てから1時間ほどで智頭に到着。鳥取県南東部の玄関口で、かつては宿場町として栄えた。現在も因美線、智頭急行が出会う交通の要衝である。無料の駐車場にクルマを停め、昔ながらの家屋が並ぶ集落をしばらくぶらつく。ここを訪ねるのも久しぶりだ。

その智頭でもっとも規模が大きく、文化財としても重厚な石谷家住宅を訪ねる。かつての智頭往来に沿って建つ。

石谷家は江戸時代からの商家、庄屋であり、明治以降は山林地主として栄えた家である。現在の建物は大正から昭和の初期にかけて改築されたもので、さまざまな工法、様式が調和していることで建築史としても貴重な建物だという。

その中でも立派なのが土間にかかる梁。上部まで吹き抜けになっていて、重厚な雰囲気と広々とした感じを演出している。これだけ丈夫な梁があれば多少の雪でもびくともしないだろう。

室内を見て回る。企画展ということで、ところどころに甲冑も置かれている。

1階は客間もいろいろあり、さまざまな意匠が凝らされている。一つ一つを回るだけでも結構大変だ。

面白いのが、庭に面した和室。中央に円座卓があり、その上にはガラスの天板が置かれている。その円卓の上にカメラを置くようメッセージがある。

それがこちら。見事なシンメトリーである。ちょうど光の加減がいいのだろう。

その景色となった庭も池泉式、枯山水と、コンパクトながら奥行きの深さを感じさせる。

2階は生活の間といった趣。立派な神棚(部屋と同じだけの幅がある)も備え付けられている。

開け放たれた窓から見る瓦屋根も風情を感じさせる。懐かしい日本の商家の景色。

敷地には蔵も並ぶ。かつては米蔵や味噌蔵、食器等の保管庫として使われていたが、現在は企画展示室として使用されている。

このうちの一つで、ちょうど最終日という「桑田幸人 牛の版画展」というのが開かれていた。倉吉で獣医を務める一方、牛をテーマに数々の版画を手掛け、多くの賞を受けた方だそうだ。ちょうど丑年ということもあるし、東日本大震災の時に放たれて生き残った牛を描いた作品もある。震災から10年、困難から一歩踏み出すという願いにも改めて触れてほしいとのことである。

別の蔵では「折り紙建築」の展示。「折り紙建築」とは、建築家の茶谷正洋(故人)が考案したもので、「飛び出す絵本」のように1枚の紙を開けるとさまざまな建築物や模様を浮かび上がらせるのが特徴である。石谷家住宅もその作品に含まれる。下図を考えるだけでも大変そうだが、テキストも世に出ているという。子どもにデザイン、数学、芸術への関心を喚起するよい方法だとしている。

ここで智頭を後にして、岡山との県境に向かう。

佐用方面に向かえば智頭急行と同じく関西への近道、一方国道53号線をそのまま進めば津山を経て岡山に向かう因美線~津山線のルート。智頭はその分岐点である。

那岐で因美線の線路とは別れ、カーブで高度を稼ぐ。鳥取道を行くクルマが多いのか、行き交うこともほとんどない。まあその中でも、峠を攻めるということでスピードを上げるクルマもいるので、慌てて退避して先に行かせる。

そして黒尾トンネルを抜け、岡山県に入る。こちらは奈義、那岐山を挟んで同じ「なぎ」という読みである。この那岐山は「古事記」のイザナギ・イザナミ伝説に由来すると言われているそうで、古くから鳥取側に「那岐」の地名があったのに対し、岡山の奈義は昭和の戦後に3つの村が合併してできた町名で、読みは那岐山から取ったにせよ、鳥取側で那岐の字が使われていたために、奈義の字を当てたのだという。

さてこの先、津山インターから中国道に乗るのだが、その前にもう1ヶ所立ち寄りたいところがある。石谷家住宅ほどの豪勢さはないが、こちらも素朴な田舎の表情ということで・・・。

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