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憲法改正考(5)

2005年11月07日 14時23分33秒 | 国を憂う
今回は本題の「軍、安全保障、戦争」についてです。

自民党草案では「自衛隊」を「自衛軍」と替えてます。また第二章を「戦争の放棄」から「安全保障」と替えてます。物としてはより強い印象に替え、その精神はもやっとした不鮮明な印象に替えたというところでしょうか。
さらにその軍の行動基準は「正義と秩序」というあまりにも不明確なものです。米国がここ数年イラクで行ってきたことは「正義」なのでしょうか。イラクにもたらそうとしている秩序はイラク国民にとって好ましい秩序なのでしょうか。それは米国の考える正義であり、秩序でしかないのではないでしょうか。
「正義と秩序」って人によって異なるものです。そんなあいまいな基準を軍の行動の原点に置くより、「戦争はしません」の方がより明確なのではないでしょうか。

安全保障、戦争については僕もまだ確固たる考えをもっていません。
他国がミサイルを北海道に打ち込み、500人の道民が死んだとします。
 (1) 報復はせず、「辞めてください」を世界に訴える。
 (2) 「もう一度やったら、やるぞ」と譲歩する。
 (3) 即相応の報復をする。
 (4) 相手国を叩きのめす。
皆さんはどうなんですか。どれを選んでも、それ相応の覚悟がいります。

現憲法でも「戦争放棄」をうたってますが、上のような事態に至ったときの対応として共通の覚悟はないのが現状ですよね。その意味では現憲法下でも実態のない文言にすがってるのが今の日本人ではないでしょうか。

憲法を改正するのであれば、「戦争放棄」を明言し、かつ「仕掛けられた場合の対応」を国の顔(国民の覚悟)として表現するのが望ましいのではないでしょうか。
「自衛隊が守ってくれる」とか「米国が守ってくれる」とか期待の中でもやもやにしておくのはやめにしてもいいのではないでしょうか。
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憲法改正考(4)

2005年11月07日 13時56分40秒 | 国を憂う
前回「今回の自民党草案内容での改定なら急がなくても」と書いた。
改憲内容のとぼしさと国民の「変えたい」とする気運の無さからみて当然ではないでしょうか。だから今「この草案でどうだ」と国民投票になったら、僕は間違いなく「No」と書きます。
ではなぜ自民党はこんなにもことを急ぐのだろうか。

(1) 結党以来の党是
  自民党は50数年前の結党時に「自主憲法制定」をうたった。これを実施しないことには、「今までなにをやってきたんだ」とするおじいさん達がたくさんいる。
(2) 選挙での大勝
  これは大きいでしょうね。今なら2/3で国会を通せる。50年来の党是を実行できる願っても無いチャンスがめぐってきたと判断したのでしょう。
(3) 憲法改正をもっと簡単な手続きで
  国会2/3の賛成を1/2に今変えれば、今後必要となった時に改憲をやりやすくできる。自衛隊の扱いではこれまで現憲法がある故に苦しい答弁をさせられてきた。こんな苦汁をもう飲みたくない。それには憲法改正がより簡単にできる制度改定が必要だった。
(4) 苦汁の元 自衛隊を軍に
  これが一番大きな狙いでしょう。防衛隊的印象の「自衛隊」から外向きも印象させる「軍」にすることで、処々の壁を乗り越えようとしてるのです。
  自衛軍に対する考察は別に項を設けて考えたい。

国民の改憲に対する温度が上がっていない今、憲法草案の提出は自民党のエゴとしか言えないものでしょう。
本来国がもっとその必要性を国民に教宣するべきです。その結果国民に賛成であれ、反対であれ、自分なりの考えを持たせた上で「どうですか?」と問うものでしょう。理想的なことをいってるようだが、ことは「憲法」です。為政者に理想を求める態度を期待したいものです。
国民も「さじは投げられた」と解釈し、自分の意見を持つよう努力が必要な時期ではないでしょうか。
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憲法改正考(3)

2005年11月07日 00時05分15秒 | 国を憂う
(2)で「憲法と法律」の違いがわかったように書いたが、自民党憲法草案を読んで、もうひとつ関連する大事な機能に気がついた。これを意識せずに法は語れないのですね。
「司法」の存在です。 憲法でも法律でも結局どれだけ定義しても世の中の現象を全て定義することはできず、法にてらして、その正否を判断する機能がいるのですね。それが「司法」ですね。
逆に考えると「法」は文章であって、正否全てを定義することはできないもの、最初からそういう限界を持ったものとしてしか作れないものなのですね。
ということはある部分だけやたら具体的に記述すると、かえってその他を排斥するような理解もできてしまう。表現には注意が必要ということでしょうか。
法にどう書かれていようが、最後は裁判所に判断をお願いすればいいんだ という極論にもなりかねない。僕はここまで無関心ではいられませんが。

現憲法は前文と十章、99条でできてるんですね。
 1章  天皇制
 2章  国民、国の安全保障(ここに第9条があります)
 3章  国民の権利と義務
 4章  国会 (立法)
 5章  内閣 (行政)
 6章  司法 (司法) 三権分立の三権を定義してるんですね。
 7章  国の財政    行政資金をどう集め、使うかですね。
 8章  地方自治    行政の細分化と権限委譲ですね。
 9章  憲法改正の手続き
 10章 最高法規(これが日本国の最高法規と名言してる)
よくできてますね。定義すべきことはされてるし、余計なことは書いてない。

さて今回の自民党の草案はどうなってるかというと、「前文と十章、99条」の骨格は変わってません。
大きく変わったのは
 ・「陸海空軍を持たない」を「自衛軍を持つ」とした点
 ・憲法改正発議を国会の2/3から1/2の賛成で可能とした点
の2点です。
その他は表現を変えた程度で、所詮解釈の差として司法の判断、判例に頼るしかないという効力論からすればたいした変更ではない。

では上の2点のためだけに今大掛かりな「憲法改定」をやる必要があるのでしょうか。
長くなるので続きは(4)にまわします。
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