今回は本題の「軍、安全保障、戦争」についてです。
自民党草案では「自衛隊」を「自衛軍」と替えてます。また第二章を「戦争の放棄」から「安全保障」と替えてます。物としてはより強い印象に替え、その精神はもやっとした不鮮明な印象に替えたというところでしょうか。
さらにその軍の行動基準は「正義と秩序」というあまりにも不明確なものです。米国がここ数年イラクで行ってきたことは「正義」なのでしょうか。イラクにもたらそうとしている秩序はイラク国民にとって好ましい秩序なのでしょうか。それは米国の考える正義であり、秩序でしかないのではないでしょうか。
「正義と秩序」って人によって異なるものです。そんなあいまいな基準を軍の行動の原点に置くより、「戦争はしません」の方がより明確なのではないでしょうか。
安全保障、戦争については僕もまだ確固たる考えをもっていません。
他国がミサイルを北海道に打ち込み、500人の道民が死んだとします。
(1) 報復はせず、「辞めてください」を世界に訴える。
(2) 「もう一度やったら、やるぞ」と譲歩する。
(3) 即相応の報復をする。
(4) 相手国を叩きのめす。
皆さんはどうなんですか。どれを選んでも、それ相応の覚悟がいります。
現憲法でも「戦争放棄」をうたってますが、上のような事態に至ったときの対応として共通の覚悟はないのが現状ですよね。その意味では現憲法下でも実態のない文言にすがってるのが今の日本人ではないでしょうか。
憲法を改正するのであれば、「戦争放棄」を明言し、かつ「仕掛けられた場合の対応」を国の顔(国民の覚悟)として表現するのが望ましいのではないでしょうか。
「自衛隊が守ってくれる」とか「米国が守ってくれる」とか期待の中でもやもやにしておくのはやめにしてもいいのではないでしょうか。
自民党草案では「自衛隊」を「自衛軍」と替えてます。また第二章を「戦争の放棄」から「安全保障」と替えてます。物としてはより強い印象に替え、その精神はもやっとした不鮮明な印象に替えたというところでしょうか。
さらにその軍の行動基準は「正義と秩序」というあまりにも不明確なものです。米国がここ数年イラクで行ってきたことは「正義」なのでしょうか。イラクにもたらそうとしている秩序はイラク国民にとって好ましい秩序なのでしょうか。それは米国の考える正義であり、秩序でしかないのではないでしょうか。
「正義と秩序」って人によって異なるものです。そんなあいまいな基準を軍の行動の原点に置くより、「戦争はしません」の方がより明確なのではないでしょうか。
安全保障、戦争については僕もまだ確固たる考えをもっていません。
他国がミサイルを北海道に打ち込み、500人の道民が死んだとします。
(1) 報復はせず、「辞めてください」を世界に訴える。
(2) 「もう一度やったら、やるぞ」と譲歩する。
(3) 即相応の報復をする。
(4) 相手国を叩きのめす。
皆さんはどうなんですか。どれを選んでも、それ相応の覚悟がいります。
現憲法でも「戦争放棄」をうたってますが、上のような事態に至ったときの対応として共通の覚悟はないのが現状ですよね。その意味では現憲法下でも実態のない文言にすがってるのが今の日本人ではないでしょうか。
憲法を改正するのであれば、「戦争放棄」を明言し、かつ「仕掛けられた場合の対応」を国の顔(国民の覚悟)として表現するのが望ましいのではないでしょうか。
「自衛隊が守ってくれる」とか「米国が守ってくれる」とか期待の中でもやもやにしておくのはやめにしてもいいのではないでしょうか。