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憲法改正考(6)

2005年11月13日 12時08分54秒 | 国を憂う
たぶんこのシリーズ最終項になると思います。
ここまで「現状での憲法改正は反対です。」と書いてきました。その理由は
1. 国民レベルでの気運があがっていない。
2. そんな中で自民党のエゴとして実施されようとしてる。
3. 今回の改訂内容が実施を急がれてる問題ではない。
4. 為政者に対する歯止め的精神が薄れると思われる。
等です。

最終項で僕がどうしても触れたいのは「天皇制」についてです。
反対とか賛成とかではなく、憲法改正を考えるなら、この点も一度議論しないといけないのではないかと考えるのです。
天皇家が存在することのいい点、悪い点、なくした場合のいい点、悪い点を整理しないといけないんじゃないでしょうか。
なんとなく「いままであったから、そのままあればいいだろう」では皇室に生まれた人達の心労をみるに、あまりにも無責任すぎないだろうか。タレントよろしく週刊誌のネタにまでされてですよ。
僕はどっちかというと「なくてもいいのではないか」という意見でいます。
存在しなければならない理由が見あたらないのです。憲法上謳われている職責は全て実質的ではなく、形として存在してるだけです。例えば「総理大臣を任命する」とありますが、現在そんなこと意識してる国民はいませんよね。自民党が圧勝すれば、「小泉を国民は支持した」と本人が言うくらいですから。
では、なくして困る点はとなると、これがないんです。外国から要人が来たときに国民を代表してご挨拶され、訪問を受けられる。せいぜいこんなことしか思いつかないのですが、それって必要なのでしょうか。なくても問題ない国ありますよね。米国がそうではないですか。
一昔前、「天皇のために」として求心力が必要だった時代がありました。そういう求心力を必要とする時代は決して来ないだろうし、来てもらっても困るわけです。この点では危険性をもってる制度であるともいえますね。

憲法改定がもっと身近なこととなって、我々に突きつけられた時、天皇制についても原点に帰って論議されることを期待します。女性による王位の継承を論議する前に。
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