103だ、106だ、イヤイヤ130だと駆け引きが始まってる。それはそれでほっとかれた問題だから議論し、改善できるところはしたらいい。
僕はそこだけに止めないで、もう少し深掘りし、議論してよ と見てるのです。
どう考えるかなんですが、税制なり、社会保障制度はこの30年、仮定とその上に論理を積み上げてきて今の制度になってる。その仮定が現実と相当にズレてきてると見るからです。
例えば、「年間103万までは所得税を控除」は30年前に制定されたもの。与党が税収のためにほっといた制度でもあるわけです。女性の社会進出にからんでは 専業主婦を想定した「3号被保険者」なる制度が残ってる。これが106の壁とか130の壁につながってる。結婚して専業主婦になるのが多い として作った制度ももう古いのでしょう。
さらに、多くなる高齢者の介護支援はほっとけない。また最近顕在化してきた障害者の人生支援問題だって現状の想定では取り込みきれないでしょう。
このあたりを考えだすと、国民が納める税金、保険料と、国がどう国民の一生を支えていくべきか 今この辺から問い直すチャンスじゃないのか と考えるんです。
僕は 個人の生き方、働き方、性別、障害の有無などを考慮しない、単純に「生きてる1人の個人と国」の関係で制度を見直す事が必要なんじゃないかと考えてるのです。飛びますが「選択的夫婦別姓」も同一視野にあります。
日本国民として誕生してから、亡くなるまで 国はその人の人生を支援し,国民は国に貢献する そういう関係性の中で諸制度が再生されるべきと見てるのですが。 公助、共助、自助の分担を再確認することでもあるかな。
これは余談になるが、今の日本人 「税金、保険金」に対して他人事にし過ぎ。 ひょっとするとどれだけ税金納めてるかも知らないのでは。どういう仕掛けで取られてるかも知らないよな。 当然どう使われてるかなんて関心も無いんじゃないか。 国民的議論をやってみたらいい。「どうしてくれ」も出てくるだろうし、国政に緊張感が生まれると思いますが。
僕はそこだけに止めないで、もう少し深掘りし、議論してよ と見てるのです。
どう考えるかなんですが、税制なり、社会保障制度はこの30年、仮定とその上に論理を積み上げてきて今の制度になってる。その仮定が現実と相当にズレてきてると見るからです。
例えば、「年間103万までは所得税を控除」は30年前に制定されたもの。与党が税収のためにほっといた制度でもあるわけです。女性の社会進出にからんでは 専業主婦を想定した「3号被保険者」なる制度が残ってる。これが106の壁とか130の壁につながってる。結婚して専業主婦になるのが多い として作った制度ももう古いのでしょう。
さらに、多くなる高齢者の介護支援はほっとけない。また最近顕在化してきた障害者の人生支援問題だって現状の想定では取り込みきれないでしょう。
このあたりを考えだすと、国民が納める税金、保険料と、国がどう国民の一生を支えていくべきか 今この辺から問い直すチャンスじゃないのか と考えるんです。
僕は 個人の生き方、働き方、性別、障害の有無などを考慮しない、単純に「生きてる1人の個人と国」の関係で制度を見直す事が必要なんじゃないかと考えてるのです。飛びますが「選択的夫婦別姓」も同一視野にあります。
日本国民として誕生してから、亡くなるまで 国はその人の人生を支援し,国民は国に貢献する そういう関係性の中で諸制度が再生されるべきと見てるのですが。 公助、共助、自助の分担を再確認することでもあるかな。
これは余談になるが、今の日本人 「税金、保険金」に対して他人事にし過ぎ。 ひょっとするとどれだけ税金納めてるかも知らないのでは。どういう仕掛けで取られてるかも知らないよな。 当然どう使われてるかなんて関心も無いんじゃないか。 国民的議論をやってみたらいい。「どうしてくれ」も出てくるだろうし、国政に緊張感が生まれると思いますが。