白州に来て年末年始の新聞を読み、社会の今、この先を考えてる。全ての情報が一つの球の中にしっかり収まってるわけではないが、「こうなんだろう」というところまではきたかな。
結論は「このまなじゃヤバイぞ」なんですが、何処を切り口にしたら論が進め易く、分かり易くなるかにまず苦心。そして行き着いた視点が
「たった16年後の2040年には日本社会今の8割規模になる」という怖い事実。
高齢化率が35%になり、生産人口(15〜65歳)が今の2割=1200万人減って5000万人になる。
若干の労働人口減少がすでに大きな社会問題(エッセンシャルワークをだれがどう担っていくのか等)を顕在化してる。今後ますます歪んで来ると予想できるが、これにどう対応するか、何を変えていくのか、変えなければならないのか そこを考える中に全体の解があると思うのです。
まず、今行われてる行政施策はどれもこれも付け焼き刃的な策ばかり、見えた傷口に絆創膏をはってるだけ。見えて来た問題に対応してるだけ。それが行政だと自分達が思い込んでるよう。
16年後どんな社会にするのか、その絵が必要でしょう。その絵を完成するための一つ一つの施策であり、出費であるべきでしょう。3歳以下の養育、75歳以上の介護どうするの、教育費負担は(どこまで無償化するの)、自衛隊は何人規模で維持するのか、運送は、教育は、警察は、消防は、どういう規模にするのか。 今回能登で見られたような山間部に少数が点在してる状況をどうするのか。 空き家の問題、人が減ると言うのにまだまだ高層マンションを建ててる現実。 早く整理すべきなんです。
でもこういう社会変革は結局国民の力があってこそ実現するものだと思うんです。そこで必要な国民の資質は何か、今の日本人に何が足りないのか。山崎マリさんがこう言ってました。
「日本人は予定調和を良しとして、それが最も大事な価値と考えてる国民。世界的には本当に珍しい国民です。自己主張をしない、空気読んで合わせようとする。合わせることが価値故に、昔を大事にしない。すぐスクラップ&ビルドに走る。だから東京の街なんてヨーロッパにある、その街の重厚さみたいなのが感じられず、軽くて、安っぽい。
予定調和好きの日本人なんだけど、日本の教育がそういう基本で実施されてますよね。」
もっと自己主張する日本人になるべき。自己主張するためには考えなきゃ。自分を出すと人とぶつかる。ぶつかるから考え、人との違いがわかる。そこで初めて他の存在が分かる。他の存在が見えて寛容になれる。一歩引く事も学ぶ。これまでと違う「和の社会」が生まれる。
個人はこういうふうに変わって行く必要があるんだろう。
そしてある論説では 「して貰う」から「してあげる」に変わっていくべき とまで書いてた。
取り残された、貧弱な日本人にならんよう 今が正念場なのかも知れない。
結論は「このまなじゃヤバイぞ」なんですが、何処を切り口にしたら論が進め易く、分かり易くなるかにまず苦心。そして行き着いた視点が
「たった16年後の2040年には日本社会今の8割規模になる」という怖い事実。
高齢化率が35%になり、生産人口(15〜65歳)が今の2割=1200万人減って5000万人になる。
若干の労働人口減少がすでに大きな社会問題(エッセンシャルワークをだれがどう担っていくのか等)を顕在化してる。今後ますます歪んで来ると予想できるが、これにどう対応するか、何を変えていくのか、変えなければならないのか そこを考える中に全体の解があると思うのです。
まず、今行われてる行政施策はどれもこれも付け焼き刃的な策ばかり、見えた傷口に絆創膏をはってるだけ。見えて来た問題に対応してるだけ。それが行政だと自分達が思い込んでるよう。
16年後どんな社会にするのか、その絵が必要でしょう。その絵を完成するための一つ一つの施策であり、出費であるべきでしょう。3歳以下の養育、75歳以上の介護どうするの、教育費負担は(どこまで無償化するの)、自衛隊は何人規模で維持するのか、運送は、教育は、警察は、消防は、どういう規模にするのか。 今回能登で見られたような山間部に少数が点在してる状況をどうするのか。 空き家の問題、人が減ると言うのにまだまだ高層マンションを建ててる現実。 早く整理すべきなんです。
でもこういう社会変革は結局国民の力があってこそ実現するものだと思うんです。そこで必要な国民の資質は何か、今の日本人に何が足りないのか。山崎マリさんがこう言ってました。
「日本人は予定調和を良しとして、それが最も大事な価値と考えてる国民。世界的には本当に珍しい国民です。自己主張をしない、空気読んで合わせようとする。合わせることが価値故に、昔を大事にしない。すぐスクラップ&ビルドに走る。だから東京の街なんてヨーロッパにある、その街の重厚さみたいなのが感じられず、軽くて、安っぽい。
予定調和好きの日本人なんだけど、日本の教育がそういう基本で実施されてますよね。」
もっと自己主張する日本人になるべき。自己主張するためには考えなきゃ。自分を出すと人とぶつかる。ぶつかるから考え、人との違いがわかる。そこで初めて他の存在が分かる。他の存在が見えて寛容になれる。一歩引く事も学ぶ。これまでと違う「和の社会」が生まれる。
個人はこういうふうに変わって行く必要があるんだろう。
そしてある論説では 「して貰う」から「してあげる」に変わっていくべき とまで書いてた。
取り残された、貧弱な日本人にならんよう 今が正念場なのかも知れない。