練習すればするほど、「どこまでできるんだろうか」と不安が大きくなっていく。公演前2カ月でこんなに不安がつのってるのは今までなかった。
何が難しいって、合唱に要求される全ての要素が盛り込まれてて、それが半端ない。きちんと表現できないとその場面を、いやオペラ全体を安っぽいものにしてしまう。先生からそこんとこを執拗に言われてる。話の裏を知ることでそのあたりが少し解ってきたんだが、ここが「トスカ」の凄さ。それが解ってくると不安がつのるのです。
「愛の妙薬」や「ボエーム」だと合唱は街の雑踏的な「ワイワイガヤガヤ」の世界表現で良かったのだが、「トスカ」の場合は話の背景にある社会情勢(日本でいえば明治維新のような大変革期)を民衆の立場で表現し、ソリストが歌う「恐ろしい人間模様のバック」をちゃんと作らないといけない。これができないとソリストの演技がただの「憎悪劇」になってしまう。重要な役割をあたえられてるんです。
それには合唱が「しっかりしたハーモニー」を聞かせないと駄目だし、さらにその場面の情感を表現しないといけない。
美しいハーモニーのためには「正しい発声」が必要不可欠。「情感表現」のためには場面を知り、その場の人になりきり、自分の表現で歌うことを要求される。先生は「ここはこう歌ってと教えられるところじゃないんだ。自分がどう表現したいかを見つけて、それを歌うしかない。それで初めて求める合唱になるんだ。」と言う。 ほらっ、ハードルが高くなるでしょう。
練習時の音を録音し、団員が聞いて勉強する環境を作ってるのだが、自分では高音域をその高さで歌ってるつもりでも、明らかに低い音で聞こえる。これでは「しっかりしたハーモニー」にならんことを実感してる。先生は「発声が悪いからです」と簡単に言う。でもその通りだとも解ってる。「情感を入れて歌う」 一般的に日本人にはにがてな行為でしょう。僕は特にその傾向有り。 さらに「カソリックの信者に成れ」と言われても、根が浄土真宗ですからね。
何が難しいって、合唱に要求される全ての要素が盛り込まれてて、それが半端ない。きちんと表現できないとその場面を、いやオペラ全体を安っぽいものにしてしまう。先生からそこんとこを執拗に言われてる。話の裏を知ることでそのあたりが少し解ってきたんだが、ここが「トスカ」の凄さ。それが解ってくると不安がつのるのです。
「愛の妙薬」や「ボエーム」だと合唱は街の雑踏的な「ワイワイガヤガヤ」の世界表現で良かったのだが、「トスカ」の場合は話の背景にある社会情勢(日本でいえば明治維新のような大変革期)を民衆の立場で表現し、ソリストが歌う「恐ろしい人間模様のバック」をちゃんと作らないといけない。これができないとソリストの演技がただの「憎悪劇」になってしまう。重要な役割をあたえられてるんです。
それには合唱が「しっかりしたハーモニー」を聞かせないと駄目だし、さらにその場面の情感を表現しないといけない。
美しいハーモニーのためには「正しい発声」が必要不可欠。「情感表現」のためには場面を知り、その場の人になりきり、自分の表現で歌うことを要求される。先生は「ここはこう歌ってと教えられるところじゃないんだ。自分がどう表現したいかを見つけて、それを歌うしかない。それで初めて求める合唱になるんだ。」と言う。 ほらっ、ハードルが高くなるでしょう。
練習時の音を録音し、団員が聞いて勉強する環境を作ってるのだが、自分では高音域をその高さで歌ってるつもりでも、明らかに低い音で聞こえる。これでは「しっかりしたハーモニー」にならんことを実感してる。先生は「発声が悪いからです」と簡単に言う。でもその通りだとも解ってる。「情感を入れて歌う」 一般的に日本人にはにがてな行為でしょう。僕は特にその傾向有り。 さらに「カソリックの信者に成れ」と言われても、根が浄土真宗ですからね。