オペラ舞台に立ってから人前に自分をさらすことに躊躇する心情が薄くなってきた。逆に「さらして話題にする。評価を受ける。」ことのおもしろさを積極的に目指してるかもしれない。
そこで秋の文化祭への出品になった。その辺の心模様は以前の日記で読んでください。
昨日から1週間市の文化祭がはじまった。初めて自分の絵を人前に出した。
こんなわけの解らんものを描いてます。
こうやっていろんな絵といっしょに並べられただけでいろいろ思うところがあります。勉強になったということ。
「絵に込めた精神性」「絵が発する力」そんな話を友人の作家さんとよくするのだけれど、自分にはその点が全く無いのがよく解ります。やはり「素人のお遊び」レベルだということなんですね。
「綺麗」だとは思います。でもそれだけなんです。それ以上に「訴えてくる何か」それを全く感じない作品なんですね。
先週の木曜日、小淵沢で友人の作家さんと話をしてる中で氏が10数年前に書いた絵100枚ほどを見せてくれた。大きさはA3程度、カンバスでなく画用紙やその辺にある紙、ダンボールに描いてる。
その絵群は「作品」ではなく「習作」だと言いました。サインはしてないのです。僕に見せてくれるのに、無造作に投げるのです。自分の勉強のため、自分の頭の中をクリアにするため、新しいヒントを得るため 雪で閉ざされる冬の3ヶ月を家にこもって描き続ける時間を持つのだそうです。1冬で300枚ほど描きなぐる。そんな絵もとっておいて、気になる時が来たら引っぱり出してながめたり、手を入れたりするのだそうです。
こんな話を聞けば僕の作品なんて「習作」の入口でできた1枚でしかないということがわかりました。これも出品したから見えてきたこと。次に活かせるかどうかが問題でしょう。
そこで秋の文化祭への出品になった。その辺の心模様は以前の日記で読んでください。
昨日から1週間市の文化祭がはじまった。初めて自分の絵を人前に出した。


こうやっていろんな絵といっしょに並べられただけでいろいろ思うところがあります。勉強になったということ。
「絵に込めた精神性」「絵が発する力」そんな話を友人の作家さんとよくするのだけれど、自分にはその点が全く無いのがよく解ります。やはり「素人のお遊び」レベルだということなんですね。
「綺麗」だとは思います。でもそれだけなんです。それ以上に「訴えてくる何か」それを全く感じない作品なんですね。
先週の木曜日、小淵沢で友人の作家さんと話をしてる中で氏が10数年前に書いた絵100枚ほどを見せてくれた。大きさはA3程度、カンバスでなく画用紙やその辺にある紙、ダンボールに描いてる。
その絵群は「作品」ではなく「習作」だと言いました。サインはしてないのです。僕に見せてくれるのに、無造作に投げるのです。自分の勉強のため、自分の頭の中をクリアにするため、新しいヒントを得るため 雪で閉ざされる冬の3ヶ月を家にこもって描き続ける時間を持つのだそうです。1冬で300枚ほど描きなぐる。そんな絵もとっておいて、気になる時が来たら引っぱり出してながめたり、手を入れたりするのだそうです。
こんな話を聞けば僕の作品なんて「習作」の入口でできた1枚でしかないということがわかりました。これも出品したから見えてきたこと。次に活かせるかどうかが問題でしょう。