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昭和を捨てる

2009年12月06日 09時23分36秒 | つれづれなるままに
主のいなくなった実家の始末にあけくれてる。あけくれるというほどやってもやっても空にならない。父母の時代=昭和を振り返りながらの作業だ。
父母は北朝鮮からの引揚げ体験者、命以外全てを無くした経験を持ってた。だから普通の日本人以上に「物への執着」が強かったようだ。家を増築する際はまず収納スペースを組入れた形跡がある。
そのスペースから僕が幼少の頃に親しんだ物までが色あせて出てくる。ただただもったいない、いつか使える、飾り直したい そんな思いから捨てられなかったんだろう。今となっては家族の思い出としての価値か、単なるごみでしかない。
これだけのごみを蓄えたのは母だが、もう一つ母の生活(性格)を垣間見る。同じような物が買ったままの状態でいろんな所から出てくる。母は「お目々の祭り」と称してよく百貨店に出かけた。振り返れば「憂さ晴らし」だったようだ。将来使うことになる物を衝動買いしてたようだ。仕舞い込んだ本人すら忘れてたであろう代物だ。
「物への執着心」が買い貯める、捨てないという行動に具体化され、今後人を悩ませている。僕は思い出に浸ること無しで機械的に廃棄してる。そうでもしないと片付かない。
「もったいないから捨てない」という前に「持たない」を生活訓にしようとつくづく思う。所詮置く場所がないから持てない、買えないんだけど、僕が今してる苦労を息子娘にはさせられない。
コメント (7)
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