天国の日々/テレンス・マリック監督
鉄工所で働いているビルは、喧嘩をして人を殺してしまう。恋人と妹を連れて逃げて、テキサス農場に流れ着く。季節労働者として麦の収穫をするが、仕事は楽ではない。ひょんなことから農場主は病気で、余命一年だという情報を得る。その農場主はビルの妹と偽っていた恋人のアビーに恋しており、求婚する。どうせ長い命じゃないと説得して恋人を農場主と結婚させて、金持ちの生活を送ることになるのだったが……。
映像の美しい名作と名高い作品である。撮影も凝っており、演出も最小限の説明しかされず、風景織りなす中で、人々の感情を表現している。まあ、いわゆる芸術的である。しかしながら芸術作品の多くがそうであるように、多少難解な上に、主人公たちは自己中心的すぎて、やっていることが訳が分からない。いわゆる結婚詐欺をやっている訳だが、バレない方がおかしいわけで、詐欺にあった方が怒るに決まっているではないか。そうして映画の文法として、破滅の道にあるのは分かっている。そういうのを見て面白く感じる人というのは、これまたちょっと変わった人たちなのではないか。
確かに罪を犯して逃げ続ける男を演じるリチャード・ギアは二枚目だし、運がないので、恋人まで使って何とか這い上がろうとしているのは分かる。そうして時々は農場主の目を盗んで(しかし堂々としている)逢引する。馬鹿なのである。農場主は、ブルジョアで金持ちだからそのようにして苦しんでいいということなのだろうか。まったくこの価値観は、チンプンカンプンだ。ヒモとして生きているのに、女に嫉妬してしまったりする。ふつうに考えて、他に味方がいるとは思えない。敵が増えるに決まっているではないか。
こういう破滅の美学というのは、時々映画になる。需要があるということだろうか。しかし、この映画の語り手の妹も、なんだかこういうことを繰り返しそうに見えなくもない。懲りない生き方賛美なのかもしれない。僕としては、呆れてしまうより無いのである。