普段から鞄は持ち歩いている。無いと困るのではないかとは思う。中身に関しては、あまり考えてはいなかった。必要なものが入っているはずだという感覚のみであろう。
鞄の中身を、毎日全部出してから詰めなおした方がいいという話がある。もう何年も前から、いわゆるビジネス書関連の本に書かれだした内容だと思う。いろんなところで目にするので、一種の流行りなのではないか、と疑っていた。最初は佐藤可士和あたりが言っていたような気もするが、それなりに評価する人が居るようで、ボツボツ見るようになっていたものが、段々広がりを見せるようになっている。多くの人が実感を伴って紹介しているということだろう。
要するに、鞄の中身を点検しなおすことで、さらに効率が増すということを言っているわけだ。鞄の中身は、それなりに無駄が残っている可能性があり、そういうものを点検して見直すだけで、さらに自らを磨き上げられるだけでなく、いわゆるリセット効果のようなもので、やる気まで引き出されるという。またはその象徴的な作業ということなのかもしれない。
その通りかもしれないとは思う。とは思うというのは、とは思わない自分がいるということだ。
鞄の中に無駄なものがあるのは、当たり前ではないかと思うからだ。その日に使うか使わないか、必ずしも明確でないものが入っている。そういう状態こそが、ある意味で自然ではないか。鞄に入れておくものは、そういうものを含んだ方が、むしろいい場合もあるのではないか。
それというのも、鞄には保険のような効果もあるからだ。とりあえず持って出るだけで、困らないかもしれないという安堵がある。持っていても困る場合はあるにはある。持っているはずのもの、入っていると思っていたものが無い(もしくは見つからない)ということが、絶対に避けられないわけではない。そういうことを避けようと思えば、毎日登山用のリュックを背負う必要があるだろう。それなりに最小限くらいとは思いながら、厳選まではしないまでも、中身を詰めていたはずである。もちろん時々は、これ要らんな、くらいで取り出すことはある。全部を毎日やるというのが、何か滑稽な感じがするのである。要するに、そういう時間があれば、他のことをするだろう(それくらいの時間は無いわけではなかろうが)。
まあ、意味として、自分の目的意識にフォーカスして、日々を送る必要というのは分かる。それくらい忙しい毎日を送る中で、さらに無駄になる要素が、生活の中に潜んでいるのも分かる。しかし、鞄の中の無駄な要素は、それらのことをなんとなくカバーするようなものがあるのではないか。いつまでも入れたままで読まない文庫本とか、実は請求出来た領収書とか、ひょいと必要になった絆創膏だとか、そういうものが入っている方が、世の中豊かなのではないか。もちろん無駄のために重いものを常時運ぶ必要はない。しかし、そういう妙なものが自分の中にあることが、自分なりのミステリで面白いのである。
まあ、やっぱり時には整理はしてみよう。捨てるものがあるのも、それなりにいい気分ではある。そうして新しいものを、また詰めなおせばいいのである。