日本人の女性を妻に持つとしあわせである、という話がある。これは古くからあるジョークがもとになっているのだろうと思われる。
男のしあわせとは「アメリカ人の給与をもらい、英国の家に住み、中国人のコックを雇い、フランス人の愛人を囲い、日本人の妻を持つ(他の国を入れた、これの長いバージョンもある)」逆に不幸なのは「中国人の給与で、日本の家に住み、英国人のコックを雇い、スイス人の愛人を囲い、アメリカ人の妻を持つ」というオチにつながる。まあ、なんとなく良くできている。
ところで、日本人の妻を持ちながら、フランス人の愛人を囲わなければならないところが気にならないだろうか。これでは日本人の妻が、そう、なんとなくお手伝いさんのような気もする。家のことをしっかりしてくれるのは素晴らしいことだが、ベッドだとフランス人が本当にいいんだろうか? 実際はよく知らないけれど、別にベッドでも日本人がいいんじゃなかろうか。
美人研究で有名な井上章一が、日本人の女性のことを悪く言われると腹が立つ、というようなことを書いていたと思う。自分は民族主義者ではないと思っていたが、そこは譲れないということだったと思う。
僕は特に熱心な愛国者というような人間でもないし、日本の悪いところはやっぱりあると素直に思うし(でもまあ日本の良さだって好きですけど)、はっきり言って日本の嫌いなところをあれこれ言われても、特に激しく反抗するような気分にならないクールさくらいは持っている。だって僕一人で戦うべき問題でもなさそうだし。
しかしながら井上の意見には確かに激しく同意するような気分があって、フランス人やアメリカ人に比べて日本人が不美人であるというようなことを言われたとしたら、たぶん激しく反抗するのではあるまいか。そもそも美人の質というものが根本的に違うものだし、それをわからない人間からあれこれ言われるような筋合の問題では無い。それに実際に国際比較をしたとしたら、僕なら断然日本人を選ぶことになるだろう。そんなことは実に明晰なことで譲ることは許されない。
たぶんそれは、フランス人やイタリア人や中国人が、その料理を貶されたときに感じるであろう激しい怒りに似ているのではないか。いや、たぶんだけれど。
それにしてもこのジョークで微妙に貶されているスイス人の愛人っていうので、スイス人の男は傷つかないのだろうか? ついでだけどオランダ人の妻という意味のダッジ・ワイフという命名に対して、どうしてオランダ人は抗議しないのだろうか?
問題は何で自国の女性が貶されて、男である僕が傷つくのだろうか。僕のつれあいが日本人だからだろうか。でもたぶん僕の妻のことを言われているのではないことは明確だ。全体的な問題なのだ。美人問題というのは、なかなか厄介である。