カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

母性を育てる

2016-05-06 | 感涙記

 以前は母性本能というような単語はよく耳にしたものだが、厳密に言って母性本能というのは女性にもともと備わった本能なのではないらしい。女だから子供が好きとは限らないのは実に当たり前のことで、当然であるのは考えなくても分かることだし、また、実際にそういう人は少なからずいることだろう。ただ、女性は子供を産む能力があるので、母性が備わっていると考えてしまう人が、どうしても出てくるというに過ぎないだろう。それを受けてあれこれ考えるというのはあるだろうけれど、だからといって事実が変わるわけではないし、母性というものが分からない女性がいても不思議ではない。また言葉としては不思議な感じがするかもしれないが、男にだって母性のようなものはあるような気がする。それは男が感じているのであるならば父性ではないか、と思われるかもしれないが、それとこれとはやはり違うものではないか。さらに父性というものは、同じく女性にもあるのではないかと疑っている。その方が、やはり自然だからだ。人の心のことなど理解しうるものかは分からないから知らないことだけれど、言葉の意味としてはそうとしかとらえられないことが多すぎる。さらにそのような解釈の方が、やはり自然なもののように感じられる。
 では母性のない母親はいるのか。実は子供と接すると、母性が芽生える、もしくは育まれるといわれている。子供を産んで、その子を抱くと、たちまち母性がすくすく出てくる感じのようだ。猛烈な幸福感と共に、母性が爆発するような感覚の人もいるらしい。さらにその後も子供と接する機会が多いので、母性が途切れなく出てくるということのようだ。
 実はこの母性は、わが子でなくてもいいらしい。他人の子供を抱いたときにも、母性というのは育つらしい。子育てを複数の人で助け合ってするだけで、多くの人が母性によって幸福感を得られるともいう。赤ん坊をかわるがわる抱っこするような光景は時々目にするが、これは大変に合理的な行為ではないか。さらに恐々と男性が抱っこしたとしても、やはりなんとなく母性が出てくるのではないか。僕はあんまり経験は無いけれど、いや、思い出してみると、そんなような気分があったようにも感じる。
 子供が小さかったころに、おんぶや抱っこをせがまれた。ほとんど体力勝負でへとへとになるのだが、体を動かした爽快感とは別に、なんだか嬉しい気分というのはあった。その後にビールなんかを飲むと、大変に旨いような気がした。考えてみると、あれが母性のようなものだったのだろうか。もう息子も僕より大きくなってしまったから、抱っこするわけにはいかない。ハグするような習慣も無いし、日本人はつまらないな。
 愛犬の杏月ちゃんの腰痛予防のために、階段の上り下りは抱っこをする。階段のそばに行くと杏月ちゃんは抱っこしやすい姿勢を取る。杏月ちゃんの体が僕の胸にふれると、ちょっとだけ幸福感があるようにも感じる。散歩のときも怖い犬がいるお宅の近くに行くと、そろそろ抱っこしてくれとせがむ。ひょいと抱っこすると犬の荒い息遣いが耳元に聞こえる。そういうのも心地いいかもしれない。
 今や人間同士でのふれあいからは、母性が育たない環境にいるのだろう。これは悲しむべきことか。いや、それでも母性が育つのならば、それはいいのではあるまいか。
コメント
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