カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

おそらく同世代ノスタルジー青春   アドベンチャーランドへようこそ

2012-10-17 | 映画
アドベンチャーランドへようこそ/グレッグ・モットーラ監督

 このような映画は世代的な影響があるのかもしれない。最初からかなり切なく共感してしまう。そういう自分にテレもある訳だが、青春というのはそういうものなんだから仕方無いじゃないか、と開き直ってみせる。もちろん一緒に横目で観ている高校生の息子たちは一切関心が無い様子。彼らの青春とは別の物語なんだろう。それはそれで健全でうらやましい限りだが、彼らの青春はいったいどういうものなんだろうね。まっただ中というのはかえって自覚が無いものなのかもしれない。
 さびれた個人経営の地元遊園地というのは、以前は日本にもそれなりに存在していたように思う。もちろん現在残っているところも、ごく僅かだが在りはするのだろう。今考えてみるとやはりそれはそれで貴重だったようにも思うし、実際自分に子供が出来て連れて行ってみて初めてよさが分かったクチである。若い頃には、少し古くなったその子供だましの遊具が気にいらなかったものだけど、小さい子供の場合や、また子供を連れた大人になってみると、なかなか味わい深いものがある。スリルという点ではもの足りないけれど、その緩さというのが安全で好ましくもある訳だ。
 そういう中でバイトする若者だって、どこか怠惰になってしまうという設定は、なかなか絶妙なのではないか。さらにそういう環境にも高値の花が居る。まさに思春期のおとぎ話で、これにノレない男はどこかしあわせすぎていけすかない気分になる。
 それがツボというか、この監督の映画作りの上手さなんだと思う。お話し自体は、確かにどこかありきたりのところはあるんだけど、ありえなさそうに見えて、やはりこのようになる期待が、それなりのリアルさをもって迫ってくる。裏には大人のどうしようもない堕落した背景に巻き込まれて魅力的にみえる同世代の女の子だった訳だが、そういうところも含めて上手い話づくりなんだと思う。振り回されてさらに傷ついて、そうして過ちも犯してしまう。若いゆえの愚かさも含めて楽しい思い出が青春だという、見事な見本映画なのではなかろうか。
 このような体験をした訳でもないのに、このような世界観は国境を越えて共感できるということが面白いと思う。日本とアメリカはまったく違うようでいて、実によく似ている。また、そういう世代に育った若者が、まぎれもなく僕らだったのかもしれない。違う世代がこの感覚を共有できるのかはよく分からない。既に地元にこのような遊園地が失われた世界にあって、青春の形が異なることも仕方のないことなのだろう。個人の体験は世代によって違うらしいということは、当たり前だがなかなか気付かないものである。同じように戦争中にだって青春だった人は居る。共感は想像力を伴わない限り難しい作業なのであろう。
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