カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

客が来たら片付けるか?

2023-11-27 | 雑記

 よくある光景に過ぎないが、部屋に遊びに行くと、ちょっと待ってと言われ、ドアの外で待たされることになる。部屋を片付けないと入れられない、というのは、割合日本人の感覚としては、あるある、なのかもしれない。しかしこれを外国人にすると、かなり変な風に受け止められることになる。知り合いであったり友人なら、いくら部屋が散らかってようが招き入れるのが、マナーのようなものだからだ。また外に待たせるより、招き入れてから待たせるのが普通だ。部屋の構造の問題や広さの関係もあるとは思うが、外国映画でも見てみると、よく分かる話である。外に待たせて何かを片づけるというのは、たいてい悪いことを隠すためであって、何にもないのであれば、いったんどうぞと中に入れる。向こうは握手文化を含め、いったんは相手を認め、その後裏切られたりすると激しく攻撃や反撃をするという考え方なのである。だから最初から認めてくれない相手(日本人)というのは、なんだか不信の対象になりやすい。また友人であればさらに、ちょっとした壁を崩さない嫌な奴に見えかねないのである。そんなことみじんもないのに。
 さてしかし、この部屋を片付けてから招き入れるのは、日本人にとっては、相手に配慮するマナーめいたものがある。せっかくお見えになったのだから、少なくともきれいに見せる必要があると考えるためだろう。自分も恥ずかしいし、汚いところに招き入れるのは、相手にも申し訳ないという心情がある。これは日本の家が狭いというのがまずはあるが、畳文化の所為ではないかという論調もある。畳というのは、そこに布団を敷いて寝る場でもあるし、それをたたんで何かをする場でもある。表面にあるものを片づけることによって、使用する目的が変化する。上にあるものは常に片付けられるものである。だからいったん何でも置いていいところでもあるけれど、きれいに整えられる宿命を負っている。日本人が外国人に比べてきれい好きのように見えるのは(と少なくとも日本人は思っている節がある)、そのような片づけの文化を背負っている所為ではなかろうか、という訳である。
 さてそれがそうなのかは実のところ僕にはよく分からないのだが、僕はどちらかというと、外国人の側の感覚の人間なのである。人が来たところでいちいち片付ける事なんてしない。相手が座るべき椅子の上に何か乗っていたら別だけれど、それも相手がのけたらいいことである。僕の机の上に乗っている資料の上に、相手が持ってきた資料のようなものを広げても全く平気だし、そもそも汚いものを相手に見られたところで、ちょっとバツが悪いな、はははは、ということである。自宅はつれあいが片付けてくれるのでよく分からないが、それ以外は、さすがにどうかな、ということにならない限り片づけない。気分転換になるのなら掃除もするけれど、それより他のことが気になるたちなので、片付けは後である。それでまあ困ることも年に何回かはあるけれど、片付けたからいいことがあったかどうかもよく分からない。だったらそのままにしておくだけのことで、お客さんはいらっしゃいである。どうか気を悪くしないでくださいませ。
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