なんとなく目にとまって、ひさしぶりにジョン・レノンの「ダブルファンタジー」を聴いていたのだが、ああそういえばこれ、あんまり聴いてなかった理由を再び思い出した。
このアルバムの背景として、当時としては、子育てのために活動を休止していたジョンだったが、長い間休んでいた後に、満を持して活動を再開する期待感と共に、最高の形で「スタンディング・オーヴァー」で始まる訳だが、その次にガクッとずっこけることになる。オノヨーコなのである。日本語で「抱いて、ダイテ、だいて……」と繰り返し色っぽく歌われる訳だが、どうにもこうにも人前どころか一人で聴いていても恥ずかしくて落ち着けない。そうやってジョンとヨーコの曲が交互に入っているのである。
買った当時最初の一回だけは通して聴いたと思うが、その後はヨーコの曲をわざわざ飛ばし飛ばし聴かなければならなくなった。そういうのってちょっと面倒なのである。オノヨーコは元日本人の女性として、そうしてジョンのパートナーとして、世界的にも有名で、そうして日本でも最初はちょっと誇るべき女性という立ち位置だったはずなのだけれど、日本のジョンのファンの少なからぬ人たちからは、なんとなくスルーされているわけだ。いや、はっきり言って、かなり疎まれていたはずである。そうしてこのアルバムは、ジョンがそのあと殺されたという衝撃と共に、ジョンの曲以外と共に、ちょっと葬られてしまった感がある。思い出すにはあまりにつらい。
僕なんか中学生で、やっとビートルズでもはっきりとジョンの足跡をたどるようなことと、そのロック性に目覚めたときだったので、もうオノヨーコの声を聴くのが嫌だった覚えがある。当時はビートルズは、はっきり言って古典で(今の古典感とはちょっと違うのである)、新しいものがたくさんある中、神格化した部分では聴かれたが、それはほとんどレットイットビーか、抱きしめたいか、イエローサブマリンであって、ジャーナリズムの思い出だった。今はもっとひどくなった部分はあるけれど、ジョンのロック性はむしろ封印されてしまった。時々はイマジンであって、コールドターキーがかかるなんてことは無いのである。
でもまあオノヨーコを落ち着いて聞いてみると、その構成においては、ジョンがそれなりに色付けして遊んでいることも見て取れる。変な声で歌も下手だけど、なんとなく本人が持っている芸術性のような方向も分かる気がする。勘違いかもしれないけど……。東洋的で神秘的で、そうしてちょっと変な前衛的なところが、ジョンのこころを捉えていたことは間違いなさそうだ。まあ、今後もこのアルバムを聴くときは、やっぱりヨーコの曲は飛ばしながらという作業は、必要になっていくのだろうけれど……。