カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

種子を体につけて歩く

2023-11-19 | 散歩

 一年中そうであると言えばそうなのだが、しかし秋の散歩のときには特に思うのは、歩いていてやたらにズボンなどにくっつく種子が多いということかもしれない。ズボンだけでなく靴の紐にも付くし、靴下にもつく。シャツにも付くし、頭髪にもついている。目に付くところばかりとも限らず、椅子に座るとお尻にチクりとすることがある。一つ一つ取り払うのもめんどくさい。そうして一緒に散歩している睦月ちゃんにもたくさんつく。彼女の場合は、自分からそれらに積極的に近づき、自ら進んでつけている可能性もある。そうやって種子は違う場所に運ばれ、そうして違う場所で新たに生育場所を見つけているということなのだろう。頭脳を持たずして素晴らしい戦略を立てているわけで、やはりそういうところに、何かの意思のようなものを感じ取らざるを得ない思いである。
 できる限りそのような危険を回避して歩きたい、という思いはあるのだが、何しろ自然豊かな田舎を歩いているので、すべてを回避することは不可能である。都市部というような場所は無いにせよ、住宅街や、舗装ばかりのところを歩いていることも多いのだが、たとえそうであっても何かの種子とはあるもののようで、本当にいつの間にか何かが体にくっついていて、驚くことがある。まったく覚えは無いのだが、彼らの戦略の中に僕はおそらく組み込まれていて、その指図通りに歩かされているのかもしれない。
 時々は立ち止まって、くっ付いた種子を取り除くこともあるし、やはり帰ってからまとめて玄関先で取ることもある。車の運転中に気づいて取ることもあるし、食事など座っているときに気づくこともある。背広などでもついていることがあって、移動以外に歩いていなくても、ちゃんとくっつく植物は間に潜んでいたのであろう。そう簡単に逃げられないのであれば、後で取り除くよりないのである。
 それにしてもそのようにして取り除かれた種子のほとんどは、いわゆるごみ箱のような場所に捨てられているということにもなる。気づかないうちに違う場所に落ちているものがあるのだろうけど、僕の手によって取り除かれた種の多くは、やはりごみ箱から抜け出せず、ほとんど焼却されてしまうのだろうと考えられる。考えてみると、いくら戦略であろうとも、いささか効率性は良くないとも考えられる。しかしながら同時にこのような作業を常に必要とするくらい大量の種子が、僕と同じような人間や動物などについて移動しているのだろう。それだけ多くの種を生産させてもなお、子孫を残そうとしていることを思うと、生き物の生き残りにかける執念というのは、並大抵ではないのかもしれない。日本は少子化社会になって久しいが、いつまでも増え続けるわけにはいかないことは理屈では理解できるものの、なにか本能的なものとは別の生命的な反乱が、起きているということが言えるのではなかろうか。
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