以前は手書きで結構いろんな文章作ってたもんだとは思うものの、今となっては今昔の感がある。ほんとに遠い昔のような……。
しかしながら手書きで書類を作っていた時代に働きだしたので、当時はほんとになんでも手書きで行っていた。仕事の企画書はもちろん手書きだったので、先輩の書いたものをほとんど盗んで書いた(今だって基本はそんなもんだろうけど)。伝票も手書きだったから、紙がどんどんかさばっていく感じだった。ほどなく、というかワープロがありはしたが、ワープロを打てるだけで、なんとなく周りの空気が「おおッ」という感じになった。打てるんだったら、ということで、これをワープロにしてくれとか頼まれたりして仕事が増えた。文書作成のような仕事は、仕事の本分ということにされておらず、一通りに仕事が済んでから打つことになる。なかには表を埋め込んだものなんかもあり、苦労して打っていると、いつの間にか夜の10時という感じになったりした。なんだか不条理感があって、イライラしたものである。そんな風に苦労して仕上げて翌日上司に見せると、「いや、もっとこうなんたらかんたら……」言われて、ほんとに気分が悪くなったものである。でもまあそのうちだれでもワープロくらいは……、という時代に変わっていき、作成した文章はフロッピーディスクに記録しておけるので便利になった。ひな形がたくさんできると、実に仕事が捗る気がして気分が良くなった。
実は最初のころはひらがな入力というのをやっていた。その方が早いというふれこみがあって、実際日本語の文章であれば、確かに速い(ように感じた)。しかしながら数字もあるし、ブラインドタッチで入力する必要性が感じられて、段々とローマ字入力へ変更していった。最初はちょっと苦労した記憶があるが、これもブラインドタッチのかっこよさもあって、いつの間にか覚えた。まだ僕も若かったのである(たぶん)。
ほどなくして、馬鹿デカく高価であったパソコンが主流になっていき、ウィンドウズが出ると、マックより数段値段も安くなって爆発的に売れた。一気に職場のワープロは、パソコンに取って代わった。まだ一人一台というよりも、皆で使いまわすのではあったものの、パソコンの前に座っているだけで、仕事をしている気分にはなった。まだ何でもかんでもパソコンという時代では無かったにせよ、これで将来は何でも仕事ができるという気分は味わえた。実際今になってみると、パソコンなしでは基本的な作業は何もできないことになっているが、事務仕事ばかりやっているわけでもないし、結局書類はあるものの、パソコンで何かやった結果であるという感じではある。いまだに手書きで報告書などが上がってくることがあるのだが、かなりギョッとしてしまう。いったいこれは何だろう?って感じではあるが、ある会の報告書等のやり取りは、いまだに手書き複写方式だったりする。これはある種の役場なのだが、いまだに利用している人が高齢者中心だからであるらしい。一時期パソコンでやり取りしたいと申し出て、数回メールでやり取りしたが、僕と数名だけしかやってなくてかえって面倒なので手書きでお願いします、と言われる始末である。めんどくさいので、出来ればこの会は辞めたいが、それは困るのだそうだ。困るのはこっちなんだけど……。いまだにファックスのところもあるが、これも高齢の問題のようである。別段そういう批判を言いたかったわけでは無いが、変えるものは変えて欲しい。
僕の住んでいる町内会の班では、新しく越してきた人が、そのまま班長になった。ここではいまだに手渡しの回覧板が回って来る。20世帯弱の集団の上に町内会の班だから、皆ご近所である。そうしてこの新しい班長さんは、僕らより若い世代の人だが、なんと回覧板に手書きの文章(いわゆるメッセージ風である)が添えてあるのである。いろいろあるんだけど、ご自身の仕事のこととか近況などが書かれていて、まあ、よろしくという感じである。読んだ手前なんか書き込みたくなるのだが、僕の家は実はお隣で、最初から何か書くと、後の人にも影響があるのではないか、などと邪推して、なんとなく書けない。そうであったのだが、つれあいに聞くところによると、後でこのお手紙のようなものに返信の文章を入れる人もいるのだという。町内会文通である。実のところその内容までは知らないのだが、手書きの文章には、そんな力があるのかもしれないな、とは思うのであった。