僕の名前は、いわゆるありふれていて平凡だ。漢字で書いても字画が少なく、13画程度で書かれてしまう。雑に書いても認識しやすく、上手に書いてもあまりかっこよくない(習字など手で書いた場合)。さらに名字もありふれすぎているので(九州ではあまり多くは無いのだが)、同姓同名の人がたくさんいる。新聞を読んでいて同じ名前の人が殺人などで捕まったりするのを何度も目撃している。有名人もいるし、もちろんそうでない人もいるだろう。
免許証の更新の時に年齢が違うのでおかしいな、と思っていたら、同じく来ていた同姓同名の人のものが間違って僕に渡されていた(僕よりかなり年配の人だった)。仕事で必要な資格試験の時もそういうのがあって、僕の生年月日と違う資格証明書が送られてきたことがある(もちろん、交換してもらった)。
名前の漢字が間違った宛名で郵便が届くことはしょっちゅうで、僕は事業所の代表もしているので、困ったことにそういう郵便が大量に日々届いている。だいぶ以前は訂正するように先方に伝えていたこともあったのだが、これはもうきりがないし、考えてみると、違う漢字に変換されるワープロも悪い訳であって、送ってきた人だけの責任ではないような気もする。まあ届いたのだからいいのであって、そもそも名前なんて記号である。ということで開き直って、もう気にさえしてない。
食事の予約を取っているのに、違う人がすでに店内に案内されていたこともある。店で名前を書いて待っていると、同じ苗字の人が続くこともある。もうびっくりもしないが、違う名前を使うという訳にもなかなかいかない。何しろ自分の名前なんだし。
名字だけならそういう事故が起こりかねないのでたいへんに危険だが、しかし一方で匿名性があるともいえる。世の中には変な人がいて、僕のようなありふれた名字をかたって、日常の匿名性を保っている人もいるようなのである。ネット上ではハンドルネームを使うように、友人間など以外では別の名字であるという人がいて、そういう時にこのありふれたものを使うらしい。なるほど、とは思うが、実際に僕のような立場の人もいるので、まぎらわしいことである。ただでさえありふれたものなのに、さらに汎用性があって増殖しているかもしれないことを思うと、ちょっと気持ちが悪いかもしれない。いや、ほんとは気にしてないんだけど……。