カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

金ぴかの権力とサクセスのための美貌の戦い   マチルダ 禁断の恋

2020-04-15 | 映画

マチルダ 禁断の恋/アレクセイ・ウチーチェリ監督

 ロシヤ映画。19世紀の皇帝の継承者である皇太子が、英国皇室関係の婚約者がありながら、バレリーナに恋してしまうという物語。バレリーナは当然出自があまり良くないのだろうと思われる。皇室関係者と結ばれることで、一気に生活が変わるだろうこともあって、娼婦のように次々に男と関係を持つようなことで生活を保っている(そしてバレエも必死で踊っている。地位の高い男性を射止めるためであるようだ)。踊っているとき服のひもが切れて、胸をあらわにしても動じることなく踊り続ける。必死さもあるが、そのために男の注意も引くわけだが(当然だろう)。
 史実をもとに、当時のロシヤの世論を揺るがした物語をもとにしているようだ。普通ならバレリーナの立場の女性がけなげであるとか、虐げられているために、皇室の格式ある状況に苦しめられるという構図を取る方が分かりやすい筈なのだが、もちろんそういう構図は確かにありながら、このバレリーナはしたたかに強い面があって、共感を得られるかどうかは微妙だ。さらにこれがロシヤ的な女性ということなのかどうかもよく分からない。とにかく一般的な西側の映画とは表現が違いすぎて、どういう立場で映画の人々との視点と調和させてよいか戸惑う。皇太子の強い恋愛感情は少しわかるが、この女に恋する男たちは複数で、その他大勢の中で地位が一番高いために有利であるだけという感じが、何かやはりカッコ悪い。バレリーナを自分のものにしたい男たちは、形上争うけれど、それがどうしたのか? という感じだろうか。どのみちこの女は、全部と関係を結ぶことに躊躇などなく、この恋愛レースを勝ち取ったところで、要するに愛が成就されるというような話でさえないのだから。
 金ぴかの貴族社会と、一般市民の垣根は相当にあるはずで、それを超えられるのは、よっぽど力の強い軍人か、女であるバレリーナか、ということなのかもしれない。そうして現代社会になるにつれて、こうした社会は崩壊していくことになるのだろう。
 妙な作品ではあるが、社会主義の時代だったソ連では、描きにくかった作品なのかもしれない。ロシヤらしいとは言えないハリウッド的な見せ場の多い演出にはなっていて(要するに派手)、そういう意味では西側社会でも問題なく楽しめる作品ということになるのかもしれない。まあ、倫理的にどうというものではないにせよ、これくらいの人たちでないと、この世界はまともに渡り歩けなかったのであろう。
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