沈黙の森/C.J.ボックス著(講談社文庫)
主人公は猟区管理官という仕事をしている。米国の山の中では、一般の人が猟をするのを監督する役割の山男の仕事があるようだ(日本にもあるのかな。米国は銃社会というだけあって、狩猟(ハンター)の趣味(もしくは仕事)のある人が結構いるようだ)。妻と娘のいるジョーは、違反している知事まで捕まえたことがあるという、ちょっとドジなところのある人間のようだ。そういう中、以前違反を取り締まった折に、逆にその男から持っている銃を奪われて(半分冗談で)殺されそうにもなった経験がある。しかし、その山岳ガイドをしていた男が、自分の住んでいる山の家の前で、何者かに殺されていた。一気にきなまぐさい殺人事件の捜査が始まるが、時は保安官選挙を控える時期でもあり、そのような権力闘争に巻きもまれながらも、何か密猟を含んだ連続殺人のようなものが起こっていたような形跡が見つかっていく。ところがこの山にパイプラインを通したいと計画している会社の思惑などが絡んで、この事件自体の背景が、大きな利権の絡む様相を呈していくのだった。一見力の足りないジョーは、孤軍奮闘して事態の打開を図るのだが、次から次へと窮地に立たされることになる。果たして彼に、この難題を解くことができるのだろうか。
ジョーの仕事は薄給でもあるようだし、別の仕事の勧誘もあるし、そもそもそんなにこの仕事に向いているわけでもないかもしれない。貯金は無く、妻や娘に十分に何かしてやれないもどかしさもある。妻の母とも、あまり感情的にうまくはいっていない。そういう中、この事件に愛する娘まで巻き込まれていくクライマックスに、男の感情は大きな転換を見せていくのだった。
まあ、こうでなくちゃね、というカッコよさがあって、なかなかいいのである。野生動物をめぐる倫理の問題もあるし、アメリカの過疎の問題などを含む政治の在り方もあるのだろう。人々は暮らしていかなくてはならないし、人間関係としては多少の不条理があろうとも協調していく必要もこともあるだろう。人口は少なくとも、人間関係の権力闘争のようなこともあって、まるで日本の村社会のようでもある。お国が違っても、人口密度ではこうなってしまうのだろうか。
結局ドンパチは、さすが銃世界のアメリカだ、という作品になっているのだが、そういうカタルシスが一定のトーンを支えている作品かもしれない。