カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

犬・殺されるのについていけるか?

2020-04-26 | Science & nature
 書こうと思っているのはチャウチャウのことだが、同時にコンラート・ローレンツのことも書かねばなるまい。というか彼の著書は持っているのだが、いつも読んでいて挫折する。翻訳のせいにすると気の毒かもしれないが、独特の言い回しがあって僕には読みにくい。ユーモアたっぷりに書かれているのだが、あまり笑えないというか。しかし頑張って飛び飛びくらいは読んでいる。少し文章が古いが、ああなるほど、そういうことね、というような内容がある。やはりこの筋の元祖なのである。動物行動学っていう分野は一時日本でも流行ったが、最近はなんだかちょっと聞かない。トレンドが変わったのだろうか。ローレンツはノーベル賞も取ったのだけど、今考えると、ちょっとのどかな感じもしないではない。
 さてそのローレンツ先生だが、実際は様々な犬を飼ってはいた。しかし特に愛した忠実な犬に、チャウチャウをあげている。チャウチャウ犬というのは中国原産として知られている。日本人が聞くと大阪弁の否定慣用句のようで滑稽だが、中国語ではチャウチャウとは言わない。どういうわけか外国語ではチャウチャウのようで、それをそのまま日本では発音で使っているのだろう。チャウチャウ犬の特徴としては、一般的に愛嬌のあるつぶれた丸っこい顔であるものと思われる。ところがローレンツ先生の時代のチャウチャウは、もっともオオカミに近い犬種とされていて、結構獰猛で荒い性格であったようだ。あの顔つきもつぶれた様子ではなく、尖ったマズル(鼻面)をしていたらしい。今のように愛嬌のある丸っこくつぶれたマズルになったのは、人間が観賞用に繁殖していった結果なのだ。
 さらにチャウチャウ犬は、実は食用犬としても用いられていた歴史もあるようだ。それで太りやすい体質のかけ合わせもなされたということらしい(さすが中国!)。しかし、恐らくなのだが、人間との付き合いの長い犬というのは、多かれ少なかれ人間の都合で食用にされていた歴史はある。使役的にお供として使われる(例えば犬ぞりの様に荷物を運ぶとか、狩りをするとか)うえに、人間の窮地になると食べられたということだろう。現代人の目からは残酷な印象を受けるだろうが、そのようにして人間は住むところを開拓したり、放浪したりしたのだろう。
 さて、ローレンツ先生の飼っていたチャウチャウには、実に歴代のものが何匹もいた。もともとローレンツ先生の飼っていたシェパードと、奥さんの飼っていたチャウチャウが結婚し、その混血を何代か飼っていたのだろう。
 その中で特に忠実だったと書いているのが雌のスタジで、ローレンツ先生以外にはまったくなつかなかった。その当時ローレンツ先生は、たびたび長期で家を空けることが多かった。従軍や捕虜になったりしたせいである。帰ってくると狂喜していい犬だったようだが、先生が家を空けると悲観に暮れ、他の人間には関心を示さず、それどころか、家出してよその家畜を襲ったりして野生化したらしい。あまりにひどくなった時には手に負えないと判断され、とうとう動物園に預けられてしまった。そうして残念なことに、空襲にあって亡くなった。その間6年だったというが、ローレンツ先生と暮らしたのは、正味3年くらいだったのではないかといわれている。
 犬というのは、飼い主には忠実だという性質がある。それが人間との強い絆を作るわけだ。もう今はほとんどの場合食いはしないけれど、たとえ食われる運命であっても、なついてくるのである。こういうのは、人間同士のつながりよりも、ひょっとすると強いものがあるんじゃなかろうか。
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