カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

シンギュラリティよ、早う来い   AI2045

2019-03-26 | 読書

AI2045/日本経済新聞社編(日経プレミアシリーズ)

 日経新聞連載の記事をまとめて、インタビューなど加え再編集したものらしい。題名の由来は、いわゆる人工知能(AI)が人知を超えるシンギュラリティ(特異点)の年が、2045年ごろとの予測があるため。すでにAIの話題は様々なトピックになっていて皆さんもご存じだろうが、いわゆる人間の能力を超えて次々に新しい能力を獲得して進化するAIの存在が、我々人間を脅かす日はそう遠くない未来には訪れるかもしれないという考えのもとに、実際のAIの現状を追ったレポートだ。もちろん専門家らの未来予想もふんだんに入れてある。
 一番の脅威として報じられている問題は、人間の仕事の多くがAIにとってかわられる未来が来るだろうという予測だろう。実際にAIで代替可能な仕事や分野というものは数多く、予想通りにいくものは少なからずあるのかもしれない。さて、それで多くの人間が失業してしまうのかというと、それは分かるわけが無いというのが正確な答えだろう。比較優位の問題があるので、AIに代替させたほうが人間のやるべき仕事が増えると考えるほうがまともだとは思うものの、いわゆるAIを使いこなせる人間と、そうでない人間との格差問題のほうが深刻になるかもしれない。
 例えば単純なレジ打ちの仕事のようなものはAIに代わられるといわれているが、今のコンビニ店員などは、実際にはたいへんに複雑な仕事をこなしている。その一部の入金のみであればAIでもいいかもしれないが、温めや箸の数やお手拭きの有無、公共料金の支払いやレジ周りでの商品の追加など、その一連の流れをすべてAIで人間よりも早くこなすのは至難の業だろう。むしろこのようなオペレーターを統計的にやれるような人間はもっと重要になるはずで、単純にAIに仕事を奪われるだけでは済まない問題になろう。むしろ弁護士や医者などの過去の判例や患者の統計的なデータで勝負をかけるような分野であれば、AIのほうが優位かもしれなくて、最終的な判断はやはり人間がやるだろうとは思われるものの、事務所の中で補助的に働いていた人たちは、ずいぶん削減出来てしまうのではなかろうか。
 とはいえ、AIが人間にとってかわるためには、まだまださまざまに乗り越えなければならない課題は多い。フレーム問題や意識の問題はまったくどうなっているのか分かっていないし、人間の記憶がAIに残されたとしても、何の意味のあることなのかは分からない。かなり革新的なイノベーションが無い限りシンギュラリティは来ないのではないか、というのが普通の一般的な研究者の同意点だろう(本書にはそのあたりはあまり書かれていないが)。
 とはいえ、現在の日本をはじめ、先進国といわれる国の行き詰っているかのような諸問題(経済停滞や人手不足など)の解決に向けては、AIの技術革新が欠かせない。僕は繰り返し言っているのだけど、とにかく政治決定などの重要事項は、人間などに任せず早くAIに判断させるようなことになるといいと思う。今のままでは人間は不幸になる一方である。もっともAIの最適解に人間の幸福など関係が無いかもしれないのだが。
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