カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

短絡に考えすぎるのは、脇道にそれているのと同じだ はじめての認知療法/大野裕著など

2017-11-02 | 読書
はじめての認知療法/大野裕著など 

 大野裕さんの本を読んでいて特に思うのは、近年の「ポジティブ思考で乗り切る」という事とは一線を画しているという事ではないか。自分がダメではないかという考えに陥ることは、確かにあまりよろしくないが、全部がぜんぶ何が何でも自分がダメだという事はよくないにしても、多少ダメなところがあったことは認めて、そのダメさ程度というのを理解する必要がある。いわば客観的にどのくらいダメだったのかを見極める作業じたいが、大変に重要だと感じた。ダメばかりでなく良いところもあったはずで、更にダメだったかもしれないが、今まで犯してきたダメさ加減と比べると、成長部分のあるダメさだったかもしれない。そういうダメの認知度の精度を上げて、客観的にも自分的にも納得できるダメさを理解できることが、何より大切だという気がした。
 要するに病的にでなくとも、単に気落ちして立ち直れないような状態に陥っている人の多くは、このダメさ加減を過大に見積もって自分を苦しめているのではないか。いや、周りにいる人でもっと反省しろと圧力をかけるような人は論外だが、精神的に普通に立ち直って前を向きたい人は、過分な思い込みに陥らないように、自分を客観視すべきなのだ。大きな失敗で死んでしまうのであればもちろん困るが、ほとんどの場合、大抵おおごとになったとしても、そのまま生きて行けるし、次の何かのチャンスだってあるはずだ。そういうものをすべて失うというようなことは、(絶対無いとは言えないまでも)自分を諦めてしまうほどの落ち込みが原因なのではないだろうか。
 これを楽観主義だと、やはり考えてしまう短絡な人が多いだろうことも分かる。結局そういう考え方のすっ飛ばし方に問題があるのである。多少時間がかかったとしても、今の自分の考えや状況なんかを、紙に書きだして見直すくらいの手間を惜しんではならない。それにそうしたからといって、くだくだ悩んでいる時間に比べたら、つまるところずいぶん悩んでいる時間の短縮になるんじゃないか。ものすごく近道という事ではないが、ちょっとした寄り道こそが、歩いていく上では、ずいぶんと大きな道である場合もあるという事を知っておくといいと思う。
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