藤沢周平の親子の物語で、時にその娘さんや編集者のインタビューを交えて紹介したものをみた。藤沢周平に奥さんや娘さんがいることは、なんとなく記憶にあった。もちろん藤沢は、何年か前から故人であるとも認識している。日本を代表する流行作家であるが、僕自身あまり時代物は読まない。有名なのはいくつか読んでいるようだが…。
しかしこの藤沢さんが、なかなか凄いのである。今でいうイクメンというやつで、娘が生まれてすぐに奥さんが死んでしまって仕方ないこともあるが、サラリーマンしながら子育てしながら小説を書いている。自分の母親もいるようだが、どういう訳か料理などはあまりやらないらしい。定時に仕事を終えて、帰宅途中に買い物しながら、そうして娘を保育園に迎えに行く。時にもう少し早く来いとお叱りを受けたりする場面もあり、仕事の工面は大変だったようだ。もちろん、現代のシングルマザーといわれる人たちだって、このような大変な日々を送っていることではあろう。男で有名な流行作家だった人がこうであったというのが、なかなか感慨深いということだろうか。
運動会でいつものお弁当とは違ったものをつくるという事でこしらえたのがカッパ巻きだったとか、娘の友達がかわいい手作りの手提げをもっていることをうらやましがるので、持っていた背広の生地で夜なべして手提げを縫ってあげるとか、とにかく娘に対しての愛情が素晴らしい。素晴らしいだけでなく、実際にそうしたことを出来てしまう力量も努力も凄いという感じだ。良く話を聞き、一緒に散歩する。後に再婚するが、娘との関係は変わらず強いままだったようだ。
小説に対する創作意欲も最初は病床の妻を励ますように書いていたというし、生活の為というのもあっただろうけれど、二足のわらじ以上に難しい状況下にありながら、書き続けていたこともわかった。性格も温厚な人だったようだし、人格にも優れたところがあり、驕ることもなく、自分の哲学を持っていながら、そのことを表に出すようなことも無かった。
娘が生まれて8か月後に妻が病気で死んでしまうのだが、その絶望感にやはり自らの死の影があったようである。しかしながら生まれたばかりの娘がいる。もしもその子が無かったならば、後を追って自死したであろうという。娘への強い愛情と、その惜しみない努力のようなものの後ろ盾として、そのような過去からの思いがあったのではなかろうか。そうして後に膨大な著作を残すことになったのである。ひとの一生というのは、本当に分からないものである。