カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

警察組織の軟弱な精神の強力な暴力の記録   冲方丁のこち留

2017-11-20 | 読書

冲方丁のこち留/冲方丁著(集英社インターナショナル)

 副題は「こちら渋谷警察署拘置場」。表紙の写真は渋谷署の前で著者らしき男が腕を組んで映っている。
 妻へのDV容疑で拘置所に連行され、監禁された9日間の記録をまとめたもの。ファン・イベントの打ち上げをしている時に警察がやって来て、「ちょっと奥さんのことで…」と連れ出されたまま、拘置所に閉じ込められて尋問を受けるという拷問シーンが延々と続く。実際に暴力を振るわれる訳では無いが、言葉をはじめ様々ないじめを駆使して警察が自供を強要する様が見事に描かれている。面白いがかなり恐ろしい内容である。著書の側の主張だし、後に不起訴となっている事実から勘案するより無いが、おそらく妻への暴力は無かったにせよ、夫婦間で何らかの不具合というか不和があったのち、そのような訴えを妻かその妻の周辺の人が行った可能性があって、しかしその理由はまったく分からないまま拘留されて、罪を認めないから保釈もされないという窮地に陥ってしまう。保釈の為の一時和解金は3千万円という。社会的な地位をはじめ経済的な基盤をも失いかねない不確定な状態に置かれながら、いかにこの状況で平常心を保ち生きながらえていくのか、というサバイバルが描かれている。しかし著者にとって大変ラッキーだったことは、拘置所の同じ部屋の人間が良い弁護士を知っていたこと、拘置所に詳しいイラン人などが居たことなどがある。心を折ることなくこの難関を切り抜けられるだけの、何か妙な意志の強さのようなものも相まって、不確実さに怯えながらも、着実に国家による強大な暴力の中で自分自身を保って生きて行こうとしている。
 著者が何度も書いているように、この国の拘置所の在り方というものがあまりにもいびつなために、この手記を書かざるを得なかったという大義がある。日本の警察は優秀だという話もあるが、起訴される事件の2割は冤罪とも言われている。それくらいは少ないと考える人もいるかもしれないが、何もやっていない人がこのような拘置所体験を必ず強いられる制度というそのものは、前近代的な国家の罪が確実に存在しているという事になるだろう。そうしてそれらは、かなり改革が難しい分野なのである。本当には無能な集団では無いと思われるが、そのシステムを使う上では、限りなく無能な人間でなければ勤まらない仕事が警察組織にはびこっているという事だ。なんとなくは聞いていたことだけれど、どことなく他人事めいた話題であって進展しない問題であるが、実はこれほどの暴力を内包している日本社会というものは、もっと国民目線で反省し直し、批判すべきものなのではないだろうか。放置してしまう一般人の罪も、今一度考えるべきだろう。もちろん政治家もだけど。いや、政治家である彼らの方が、場合によっては危ない橋を渡っている訳で、もっと真剣になるべきではないだろうか。
 一瞬にして個人の人生を狂わせてしまう国家の暴力がまかり通る日本社会。恐ろしいがそれが現実のようだ。正義という名の下の権力の行使は、イスラム国とも共通する不条理な硬直した暴力なのだ。それが僕らを守っているお巡りさんたちの正体だというのは、どうにも複雑にホラー的な状況なのである。
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